旅は続く
いつのことだか知らないが、旅の話をしよう。
口の奥に空洞を持たない、不思議な生き物の話を。
それは二本の足で歩いていた。
縦長の五角形の箱を引き摺りながらそれは歩いていた。
あるものはそれに靴を与えた。
あるものはそれに調理を教えた。
あるものはそれに肩がけの袋を作った。
あるものはそれが箱を引き摺るのを手伝った。
何人もの人と出会い、途中から線を描きながらそれは歩き続けた。
やがて出発地点である城に戻る頃、それは母なる存在と出会った。
羽を持たないそれを捨てた身勝手な存在だった。
帰らないかというその存在に、それは首を振った。
再び歩き始めたそれにあるものは
それを旅と呼ぶのだと伝えた。
それの旅は続く。
抱えたものが風となっても、また新たなものを抱えて。
それの旅は続く。
モノクロ
モノクロと言われて思い出すのは、地獄みたいなあの風景だ。
あれは、夢の話だったんだと思う。夢をあきらめた僕の家族ごっこの優しい夢。
お父様がいて、お母様がいて、たくさんのきょうだいがいる。思い返せば何かの大きな宗教団体だったのかな。
その中に仲のいい姉と仲のいい弟が一人ずついた。
真っ白な世界で何日も過ごした。
その平和はあっさりと壊される。
扉がガタガタと揺れて刃物を持った人形がきょうだいたちに襲いかかりだす。その時に仲のいい弟は僕を庇って死んだ。僕は外の世界に逃げ出して、そこでホントの家族のことを思い出すんだ。
そこで本物はみんな無事だったって確認して、逃げなきゃってその時に、仲のいい姉がやってきた。
明らかに様子がおかしくて、僕のことを殺しに来てるんだってわかったんだ。
それで僕は殺さなくちゃって、思ったんだ。姉さんが本物を殺さないように、道連れにしてやろうって。
抑えたまま線路に飛び込んでも、川に飛び込んでもいい。逃さないようにすれば大丈夫だと思っていた。姉さんを抑え込んで、川に飛び込もうとしてそのあまりの高さに、道連れじゃなくても大丈夫だって気づいたの。
そこからはあっさりと姉さんを突き落として
堤防の縁に打った頭から黒い何かが広がっていく。
そこからは全部モノクロで、確かなのはあの黒はきっと本当は赤かったということだ。
姉さんを殺した。あの日のモノクロが今もなくならない。
永遠なんて、ないけれど
一つの星を中心に空は回る、回る。永遠に弧を描いてこの星を囲い続ける。
けど、いずれそれは別の星になる。
世界を回す軸も少しずつズレていく。おんなじような日々が繰り返されるようなこの世界で、すべては少しずつズレていく。
例えば、明日、君はいないのかもしれない。
僕の隣にも、世界のはずれにも。
それでも、一緒にいよう。
永遠なんて、ないけれど。
涙の理由
涙にはね、きっといろんな理由があるわけですよ。
春風が目に入ったとか
ちょっとトイレで力んできたとか
あくびをした後だとか
ふざけた理由ばかりだって?
やだな、怒らないでくださいよ。
別に深刻な時もあるって知らないわけじゃないんです。
でもねぇ、私のこれは大した理由じゃないから。
悲しいことも、苦しいことも、分からないことも
なんにも、なんにもないんですよ。
そう言っても君は聞きもしないんだよな。
やめて、僕の腕を掴まないで。
君の方が本当に泣きそうじゃないですか。
涙の理由にだってね、くだらないものもあるんですよ。
私、汗っかきだから目のくぼみに汗が溜まってそれが溢れてるだけなんだよなぁ。
目から汗が、とか言い出した人誰なんだろ。
僕の涙の理由は誰にも理解されないまま。
コーヒーが冷めないうちに
私がカフェを好きになったのは、ポニーテールのよく似合う店員さんと仲良くなってからだと思う。
ある日、カフェで私が小説を読んでいると、思わずといったように声をかけられた。私が読んでいたのは素朴な印象の恋愛小説で、彼女も丁度最近読んだらしい。そんな偶然をきっかけに、あまりお客さんの来ない静かなカフェで、私たちが同い年くらいだったことも相まって私たちはすぐに仲良くなった。
いつもついつい話し込んでしまって、そんなときに彼女は少し慌てながら言う。
「コーヒーが冷めないうちに!」
今日も同じように言ってとたたと駆けていく彼女に、思わず声を出して笑ってしまうのをこらえて、頑張ってねとゆるく手を振って見送る。こみ上げてくるおかしさを代弁するかのように、コーヒーカップからカラリと氷の溶ける音がした。