神様だけが知っている
神が知るならその「知」はオープンだ。…基本的には。
分離のステージ設定を以てすら、大いなる一も新しきを知ると言う。
「神は土をもってご自身と同じ姿にかたちをつくり命を吹き込まれ、ご自身の持てるすべての力をそれにお与えになったのです」と、子ども向け聖書に書かれていた。
さて、神が面白がって身を乗り出してくるような「神への質問」があるとしたら、それはどんなものだろう。
私達はどこから来て何処に行くのか、とか?
きっと、探究するのが楽しいテーマについての質問だろう。そして、神おひとりでそれを知っているのも「つまらない」ので、皆と分かち合えるオープンさの中にそれを置かれるだろう。
拡がり育つもののすべてを見ることで、神もご自身を新しく知るのだ、と聞いたことがある。きっと神は分かち合う。思いやりをもって伏せること以外は。
この道の先に
道のすべてが入る視座、直線的時空認識にしっかり着地できないここ数日
巨きな(おおきな)、自分自身のかかわる太古からはるか「先」までの、俯瞰できる全体像へ意識を拡げる。迷わぬものはわかる。迷うものはつかみにくい。迷うは可能性の発露と確かめ、複層を貫く質の核をフォーカスする。自分の脳知覚へリンクしながら私の「最大の使い方」を探る。
必ず戻ります
日差し
十年ほど前から、日光湿疹が出るようになった。僅かな時間だから大丈夫かと思っても、すぐに出る。夏に長袖のシャツかUVカット対策が必須になってしまい、面倒くさい…地黒なのに。メラニン色素という自前の日傘じゃ足りないくらい紫外線が強いのか…?
ここは北国で、雪が降る気候だ。実際のところ、冬の方が紫外線量は多い。雪に乱反射するからだ。でも冬だと防寒着を分厚く着込むので、日光湿疹とは無縁でいられる。
さて、夏の日差しに思うことは、今はこれくらいしかない…。あとは、眩しいなとか、明るいなとか、ジリジリ痛いなとか、夏ねー、とか。
夏に思う日差し
…………むぅん、今は、枝葉がどうしても広がらない。
窓越しに見えるのは
端っこにある窓からは、私の物理的現実のありようと履歴が見える。時代的空気の変遷も、舞台装置のように見える。昭和の温度や湿っぽさ、大ぶりな活力や乱暴さ。平成の乾きゆくヤサグレ、異常な経済テンションの急速な落下と全体に浸透していく無力感から派生した「お客さん根性」、そして度々の災害。令和、かつて直線的だったものはどんどん非直線的な顕れになってきて、誰もが各々、「集団的空気」をジャイロにできなくなった。流行りらしい言葉は「自分軸」。それらの中の私はいつもうろうろしていたが、もはやそのなかに「属して」いない。属していないが、そのなかに居る。
その隣の窓からは、物理的現実と相互作用しながら存在する、「波動が一つ違う領域」が見える。「いつもの現実」で流布されるハナシに、隠れてしまった物理的事実があることもシレッと明らかにある。そこには、この現実にアクションされるジャッジは無い。ここにも、人はいっぱい居る。物理的現実領域と同様に、「闇」も多くある。
そのまた隣の窓からは、この惑星の、人間以外のかたちで在るたくさんの命の整然が見える。直接に「根源」とつながり、それ自身であることを以て他の生命形態のものたちを支え、照らし、自らも拡大してゆく。この窓は私の心にも元気を吹き込んでくれる。
これらの窓は、私のなかにある「認識の間口」なんだろう。私という概念の本体がどこに居るかは、人間の自分という輪郭を崩壊させるところへ「入る」以外に方法を知らないし思いつかない。やってみた。結果、「何処にでも居る」。
“あのこが郡司ちゃんのこと「怖い」って言ってたよ”
…と聞き及んだので、何を怖く感じるのかきいてみた。自分では、さっぱりわからないから。伝える子が言うに、“わかんない。「怖い」しか言わないから。アレじゃないかな、得体の知れない感じがするとこじゃないかなー”と。…君は若干13歳だよな? 生まれて半世紀経つ者は皆「得体が知れない」のでは? “そうかなー、とにかく、得体の知れない感じはあるよね” …フツーなおばちゃんじゃろが。ちょっとよく見ればわかるろう。
こちらの窓がオープンでも、問答無用で閉ざされることもある「他の窓」。他の窓の向こうから、私はどんなふうに見えているんだろう。…ナゾだ…。
赤い糸
赤、という色は何故だろう。赤い色の糸を象徴として用いる文化は多い。白だったら?…何か縁の質が違う気がする。黒だったら…ヤだな。人間の暮らしや人生の、一般的で重要な「縁あればこそ」結ぶ縁には、赤い色の糸がしっくりくるのかも知れない。
ここ数日、複雑に錯綜し縺れてしまっている糸を辿るような流れに取り込まれて、深い深い、深い闇を見るはめになった。重力かと思うほどの重さ、密度、暗さ、痛さ、苦しみ、呻き、破裂する絶叫。その中に居る飛び立ちたい小鳥達。正直に言えば、心臓周りの内蔵がまるで裏返るようなストレス反応が顕れている。またか。出くわしたこと自体を事故とは言えない。何か意味が、私なりに作用できるポイントが在るはずだ…「人間の愚かな因業」などという薄っぺらい言葉で捨てるにはあまりに重い。
溜まった涙がこぼれて止まらぬ鳥の瞳。「生きろ」とすら言えぬいたましさ。
しっかりしろ、こころ折れるな。
おとなが私だけなんて最悪だが、それは今考えることじゃない。今はまだ。