郡司

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窓越しに見えるのは

端っこにある窓からは、私の物理的現実のありようと履歴が見える。時代的空気の変遷も、舞台装置のように見える。昭和の温度や湿っぽさ、大ぶりな活力や乱暴さ。平成の乾きゆくヤサグレ、異常な経済テンションの急速な落下と全体に浸透していく無力感から派生した「お客さん根性」、そして度々の災害。令和、かつて直線的だったものはどんどん非直線的な顕れになってきて、誰もが各々、「集団的空気」をジャイロにできなくなった。流行りらしい言葉は「自分軸」。それらの中の私はいつもうろうろしていたが、もはやそのなかに「属して」いない。属していないが、そのなかに居る。

その隣の窓からは、物理的現実と相互作用しながら存在する、「波動が一つ違う領域」が見える。「いつもの現実」で流布されるハナシに、隠れてしまった物理的事実があることもシレッと明らかにある。そこには、この現実にアクションされるジャッジは無い。ここにも、人はいっぱい居る。物理的現実領域と同様に、「闇」も多くある。

そのまた隣の窓からは、この惑星の、人間以外のかたちで在るたくさんの命の整然が見える。直接に「根源」とつながり、それ自身であることを以て他の生命形態のものたちを支え、照らし、自らも拡大してゆく。この窓は私の心にも元気を吹き込んでくれる。

これらの窓は、私のなかにある「認識の間口」なんだろう。私という概念の本体がどこに居るかは、人間の自分という輪郭を崩壊させるところへ「入る」以外に方法を知らないし思いつかない。やってみた。結果、「何処にでも居る」。

“あのこが郡司ちゃんのこと「怖い」って言ってたよ”
…と聞き及んだので、何を怖く感じるのかきいてみた。自分では、さっぱりわからないから。伝える子が言うに、“わかんない。「怖い」しか言わないから。アレじゃないかな、得体の知れない感じがするとこじゃないかなー”と。…君は若干13歳だよな? 生まれて半世紀経つ者は皆「得体が知れない」のでは? “そうかなー、とにかく、得体の知れない感じはあるよね” …フツーなおばちゃんじゃろが。ちょっとよく見ればわかるろう。

こちらの窓がオープンでも、問答無用で閉ざされることもある「他の窓」。他の窓の向こうから、私はどんなふうに見えているんだろう。…ナゾだ…。

7/2/2024, 6:26:52 AM