郡司

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1/9/2024, 12:57:08 PM

三日月。私は眼鏡をかけないと、三日月が三日月に見えない。裸眼で見ると、深い紺色の夜空には大きな光る花が咲いているように見える。縦の乱視と横の乱視があってそのように見えるらしい。だから、新月のとき以外で月が見えるときは必ず、空に大きな一輪の花を見る。比較的月が丸いときに、花弁が何枚見えるか数えてみたら、16枚あった。螺旋状にぐるぐると花弁の連なる花だ。

最初からそのように見えていたわけではない。子供の頃は、月は観測されるとおりに見えていた。いつの間にか月は花になっていた。
「心にしたがって見え方が変わる」と昔誰かが言っていた。じゃあ、いつも夜に眠れず涙をためて空を眺めていたせいで、そんな見え方になったのだろうか。今となっては、この見え方も気に入りだ。

もしかして、いつも涙をためている子供を見ていた月が、ちょっと魔法を使ってくれたんだろうか…?
「世話のやける子供だね、ほら、元気出しな」とか。
月が届けてくれる光は太陽からの伝達だ。太陽さんは沈んだ後も此方を気にしてくれるらしい。

1/8/2024, 1:10:56 PM

色とりどり。
赤・黒・白・黄。肌色の違い
黒・茶(トーンいろいろ)・緑(トーンいろいろ)・青(トーンいろいろ)。瞳の色いろいろ
黒・赤(トーンいろいろ)・茶(トーンいろいろ)・金・プラチナ・白は銀色の人もいる。髪の色いろいろ

白いから、黒いから、赤いから、黄色いから…
だから何だ。
環境への生物学的適応が現れるだけ
環境に沿った文化形成が現れるだけ
みんなただのいきもの

色自体に歪みは無い。みんなあざやかにきれいな色をしている。

1/7/2024, 12:19:53 PM

雪。
私は「雪女」だ。何の気なしに外に出ると雪が降る。終日晴れの予報でも雪が降る。ひとり雪まみれになって、帰ると晴れる。少し前も、私の居るところに「ミニ低気圧」が現れて、ホワイトアウトが一日続いた。冬じゃなくても、「ママ、傘を持って行ってね」などと子どもに言われる。今日は雨降らないってお天気お姉さんが言ってたよ、と返しても「それでも、ママが傘持たないでお買い物行くと雨が降るんだよ。傘持って行ってね」と来る。若い頃、私が自分の車を洗車すると、それを知った周りの者達がブーイングした。「お前が洗車した後は絶対に雨が降る。今日は自分も洗車したのに、なんて事をしてくれるんだ」と。
…それなら、みんなで雨でも雪でもくらおうじゃないか。白魔が来るわけじゃないから誰も死なないぜ。大丈夫だ問題ない。

白魔とは、ただのホワイトアウトではない。次元の違う恐ろしいものだ。白魔が来る予兆を感じる野生動物達は、みんな急いで安全確保に走る。私が白魔に巻かれたのは、ひとりで外で遊んでいた10歳の冬だった。

聞こえ始める音、急激な空気の凍て付き、山の木々が大きく揺さぶられて立てる轟音の近づいてくる緊迫感、何が来たか解る間も無く真横からブラストしてくる雪と氷の圧倒的な剛力。真っ白な目も開けにくい風速、自分の周囲全てで風と大気がゴオゴオと大音で鳴り、生きものの本能が危機を感じ恐怖が湧く。白魔に出会ったら、2~3分以内に対処し始めなければ命を落とすと言われている。これは本当にそうなのだ。

子供の私の直覚に、白魔が問うた気がした。「生きるかやめるか今決めろ。やめるならここに居れば良い。生きるならとっとと帰れ」と。
当時いろいろあって毎日悲しかった私は、数瞬考えてしまった。ここに居ようかな…と。しかし、本当に胸を痛める人が少しだけ居るから戻らねばならないと結論して、子供なりの土地勘を手繰り寄せながら祖父母の家の玄関の中へたどり着いた。しばしその場で息をつき、手足の感覚が戻って、家の中へ入った。今振り返るとギリギリだったんだなと思う。

空から降ってくる六花。一つひとつ同じものの無い精緻な美。脆く儚い芸術的造形は優しい顔をしている。一方で、動物の体温を瞬時に剥ぎ取ってしまう圧倒的な恐ろしさを顕しもする。それでいて、どうするか選択するわずかな隙間も内包している。
その美しさに喜び、その恐ろしさに留意し、齎される豊穣を享受する人間達は、各地で雪の女王を想像した。

それにしても、今年の雪は重い。全身筋肉痛だ。

1/6/2024, 3:12:58 PM

君と一緒に
歩いていきたい
まだ見ない生の果てまで
君と一緒に。

1/5/2024, 2:24:34 PM

冬晴れは寒さの強まる兆し…放射冷却で冷え込む。
昼間、太陽の光自体はあたたかさを注いでくれるけれど、夜の星は澄んで煌めき、月は冴え冴えとその輪郭をくっきりさせる。足下の雪はぎゅうぎゅうと鳴り、空気は容赦無く引き締まる…のは昔のことだ。
私の住む街の気候も昔とはずいぶん様変わりしてしまった。中途半端に暖かい冬が巡って来るようになり、最初のうちは「今年も暖冬」と言われた状況も「平年並み」と言い慣わされて久しい。暖かい冬が始まったのは私が中学生のときだったから、もう38年前だ。毎朝のものだったダイヤモンドダストやサンピラーは消えた。川沿いの木々が樹氷を纏うことも無くなり、スキー場の粉雪はエッジの引っかかるベタ雪になった。マイナス20度を下回るのが普通だったが、現在はひと冬に一度あるかないかだ。子供の手伝いに雪かきがうってつけだったのも、昔の雪は軽いパウダースノーだったから。今は大の男でも息切れするような重く湿った雪を「除雪」する。雪がべたつくようになって列車のトラブルも増えた。かまくらや雪だるまを作ることが夢のまた夢だったけど、今は簡単に作れる。そういえば、アラスカの平均気温が私の住む街とほぼ同じだと聞いて驚いた。やはりアラスカ鉄道もトラブルが増えて、運営コストは大変な状態らしい。ずいぶん前だが、NASAが地球の地軸変動を伝えていた。3度の傾き増と記憶している。現在、その原因を調べる活動も増えている。

あらゆるレベルで、育った記憶の冬とは違う冬の日々。同じ場所でのこれほどの変化は、冬晴れの日の気温差にも複雑な感慨をいだいてしまう。

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