郡司

Open App
10/14/2023, 10:49:43 AM

高く、高く
どうか届いて
活きたい願い

自己評価を今は置いて
社会での立ち位置も置いて
生きものの都合も置いて
世界の定義も置いて
ただ存在があるだけになるまで
脱いで、脱いで
脱皮して、脱皮して
削いで、削いで
天空を超えて
魂の在るところへ

高く、高く
届け、在りたい願い

高く高くから
降り来たれよ私のための光の滴
星の輝きのように
花のこぼれるように

高く高くへ
私の命よ たゆまず進め
まっすぐに

10/13/2023, 1:00:25 PM

子どものように、ものごとを感じることは大事だ。
見たまま、ありのまま、自分の目にバイアスをかけないで認識できるなら希望の糸口も見つけやすい。

子どものように、望みが明確なら、まっすぐそこへ向かう力も出しやすい。

所謂「おとな」になってからも、「子どもゴコロ」は消え去らない。
「大人の分別」で社会的責任や規範意識を保ち
「子どもゴコロ」で生きものとしての思いやりや洞察力を発揮する。

いい歳の大人がとか、大人になれよとか、そんな言い回しのされるときは大抵、「大人とは」「子どもとは」どういう状態であるのかが曖昧に扱われている。

ちゃんと「大人」なら安定感ゆたかだし、すなおに「子ども」なら楽しむことや面白がる達人だ。
なによりも、普段しっかりと安定的な大人でいる人が、ときに子どものように瑞々しく生き生きするのは、とてつもなく魅力的で、一緒に居るとわくわくする。

10/12/2023, 1:28:44 PM

放課後といえば、高校の頃を思い出す。入学して早々、なぜか生徒会に押し込まれ、違う高校に入った友人には「よほど人材に困っているのか」などと揶揄された。平成が始まったばかりの時代だ。

帰宅の途につけるのはいつも暮れかけの空の下。クラスの皆が楽しそうに寄り道の相談などしているのを羨ましく見送りながら生徒会室へ向かい、実質的には「学校行事計画と運営諸々をいつもやってる、みんなの下働き」に取り組む。

今現在の高校における生徒会役員の実情がどんなものかはわからない。はて、自分自身は卒業するまでずっと生徒会に捕まっていたが、それがこれまでにどう役立っているのかもわからない。鮮やかに明るく印象している思い出は、生徒会室じゃなくて教室の中での友とのいろいろだ。

もっと教室の友達と、鮮やかな放課後を経験したかったとも思う。私の放課後は、なんだか灰色な感じなのだ。

年齢的に、みんなが昔どおりに元気なわけではないだろう。病を得たと消息を聞いた友もある。しかし、人生の放課後にはまだまだ手が届きそうにない。御長寿多き現代で、私は未だにぺーぺーの若造なのだ。

高校3年時の、その年度で定年退職だった担任が言っていた。「オレは生涯青年だ」と。手本にしたい心構えだ。

10/11/2023, 11:51:00 AM

 カーテン。夏は暑さを少し和らげたり、冬は室内の暖気を留めてくれる。目隠しでもあり、窓にあれば少し心強いもの。無くてはならない暮らしの友だ。

 ただ、現代のカーテンは「一級遮光」というまるで雨戸みたいに光を通さないものが主流らしく、窓辺に「灯りの気配」のないところが多い。
 灯りがともる窓には、命の雰囲気すら感じる。家々の窓が光を顕さなくなり、夜道は暗い。大きな一軒家に少しの光も見当たらないと、なぜか家全体が沈黙しているような感覚に陥る。灯りが見えないせいか、隣人すら遠く感じる。
 物騒でじっとりしたリスクもないではない昨今、暮らしが見えない目隠しが求められるのも解る。でも夜道を歩くと、妙に砂漠感があるのだ。

ここは一丁、素敵な街灯の出番じゃないか?

…なんて、マイクラしながら思う。

10/10/2023, 1:13:39 PM

涙の理由は、わからないこともある。
自分の心に気づいていないふりをしてるとき。
自分の心を無視しているとき。
涙が流れて、自分で驚くことも、本当にあった。

愛することを自分自身に許可しないとき。
愛されることを諦めているとき。
乾いた嗤いと雑な態度と言葉まわしで仮面を被る。
馴染みがある痛みを、新たに感じたくないから。

「私に愛されて喜ぶ人なんてこの世にいないよ」
煙草の煙にまきながら嗤いめかして言ったとき、
あの人は怒った。
「それは哀しいな」と一言を置いてふい、と去った。
あとは自分で考えろと言わんばかりに。

自分自身を騙しているときは、ひとの気持もわからない。あの時、あの人は、そんな私にまっすぐ「愛している」と言っても私がその心を受け取れないと気づいていた。
その日、私に見える世界は生まれ変わった。
あの人が何故怒ったのか、自分で考えてわかったから。

Next