鮮やかな月光が漣を照らす夜に招待状が届いた。
内容は単純だった。
『次に月が満ちる夜に私と踊りませんか』
日付も時間も場所さえも記載がなかった。
疑いもあったが、近頃はどこかつまらない毎日だったので誘いに乗ることにした。
重たい純白の封筒を丁重に書斎の引き出しにしまう。
壁に掛けられたピア・ハットを深く被り、革靴を履いて私は街へ出掛けた。
"極上のダンスシューズを買おう"
雨の夜も風の夜も、どんな夜もステップを踏んだ。
月が肥えるのにつれて、私の期待も高まった。
祭日の前夜、見覚えのある封筒が届いた。
『赤い鳥落つる城に東の魔女を救いにきて』
洒落た文章だが、意味はさっぱり分からない。
解読は諦めて、今夜はもう寝てしまうことにした。
刻一刻と日没が近づく。
カラスも門限に急ぎ、慌てて飛んでいる。
私は、ただひたすらに東に向かっていた。
1ヶ月を共にした愛用のシューズを抱えて。
随分遠くまで来たが、家ひとつ見つからなかった。
ましてや舞踏会の似合うような大きな館は
尚のこと見あたらなかった。
向かう場が違うのかもしれないし、はなから騙されているかもしれない。
しかし私は焦らなかった。
今日だけは紳士であろうと決めていたから。
遂に、人一人会うことなく森を抜けた。
そこでようやく気づく。
眼前には果てしない海が広がっていたのだ。
とっくに日は暮れており、水面は銀色に揺れていた。
ちょうど招待状が届いたあの夜のように。
風が私を掬って潮の匂いが震撼する。
振り向くとそこには東の魔女に相応しい真赤なドレスの熟女がいた。
彼女は極僅かにも海波を乱さず、整然たる一礼を捧げた。
0,の静寂。
再び前をむいた彼女と目が合って、その唇の紅さに
宵宮は始まった。
投げ出されたダンスシューズを引き返す波が連れ去ってしまいそうだった。
裸足の彼女に合わせて、私はすぐにドレスコードを転換した。
毎晩愛し合った女性より、一夜の高嶺の花に恋惹かれるような気持ちだった。
月の照らす砂浜の上で影は優雅に揺らめいた。
裸足の指を白砂が幾度も洗った。
強くステップを踏むと、フロアは滑らかに崩れた。
時の流れを忘れてしまいそうだった。
潮風の冷たさが心地よくて堪らなかった。
絵画みたいなこの夜に私はどっぷりと浸っていた。
もしや東の魔女に連れ去られてしまうのか。
それでも構わない。
今はただこの紅に溺れていたかった。
近所の高校生が眉毛を剃って退学になったらしい。
近所の噂話で聞いた。
ああ、先月から残業の帰宅時に真っ暗の公園に少年がいたのはそういうことかと私はひとりでに納得した。
危ないので何度か声をかけようともしたが、夜中に知らないおばさんに声をかけられるのも一緒かと思い、何となく遠慮していた。
それに残業帰りはそんな余裕がやっぱりなかった。
眉毛なんてそんなしょうもない校則無くせばいいのにとも思うし、校則は守らないととも思う。
独身で子供もいないが、子供が自由に育ちうる環境を守ろうと思って日々の過重労働をこなしている身としては、こんなのは泣きたくなる話だった。
イケない子を見つけたら、私は君たちのために頑張ってるんだから、そんなことしたら駄目でしょうと叱ってしまいたくなる。
本当は、それこそ子供の自由を奪っているのだけど。
嘆きたい夜の風は冷たい。
ちょうど公園を過ぎるとき、いつもの場所に彼を見つけた。
やっぱり今日も知らんふり。
残業帰りの日はダメだ。叱ってしまいたくなるから。
真っ直ぐ進むと、いつもの如く後悔で喉が詰まる。
彼の家庭環境は知らないけど、
この世ってそんなもんだよねと世の中の悪口を一緒に言ってくれる大人がいなくていいのかな。
また残業帰りに会っても、きっと声は掛けれない。
でももしいつか、休日の眠れない夜の散歩で彼と巡り会えたら、その時は温かい缶のポタージュを持って傍に行ってみようかな。
崩壊の果てに、
ぼろぼろの船で何光年もの間
暗闇を彷徨って
僕らはついに星を見つけた。
ガラス玉みたいに輝くこの星で
僕らはまた奇跡を起こせるだろうか。
冷たい空気の中にふぅっと白い息を吐いた。
彼は、二階の窓から売り払った肥沃な畑を眺めながら、夕飯の具材を考えていた。
人参、じゃがいも、玉ねぎ、ベーコン。
ちょうど、小麦色の少年たちが畑にやってきて片手に虫取り網を持って駆け回る。
遠目でも見える赤とんぼの群を追いかけていた。
作物のない土壌はもの寂しいが、彼の孤独を慰めた。
1人になってから一年。
彼は、色葉散る寒い夜にはポトフを煮込もうと決めていた。
眠れない夜が続いている。
電球に始まり、空飛ぶ物体やテレビやスマホ。
僕らは夢みたいな道具を発明し続けてきた。
快適で誰もが幸せになる幻を追い求めて。
いつだっただろうか。
誰も望んでいなかった時代が訪れたのは。
人々は科学の力を他人を傷つけるために使い始めた。
兵器だけでは無い。
誰もが使えるスマホだって日常に不幸をもたらすようになりつつある。
今やいじめや詐欺はそこら中にある。
地球もびっくりしてるだろうな。
自分よりもはるかに小さい人間という生き物に存続の危機を脅かされるなんて。
温暖化も核兵器もたった一人の力ではどうしようもできないほど膨れ上がってしまった。
鬱社会って言うのかな。
なんだか最近の世界は妙に暗い気がする。
逃れられない責任が人々を覆っている。
一人一人間違いなくそれぞれ何か責任を感じているんだろう。
そんな中でも誰も僕らを責めたりはしない。
なんせ科学者は快適で理想の社会を先陣きって創り上げてきたのだから。
けれども気づいている。
誰も責めなくたって、僕らが僕らを責めるから。
偉大な発明は人間の醜悪に大きく加担した。
幸せを願う発明が不幸を導いてしまった。
抱えきれない重圧を背負って僕らは生きていく。
これから先、僕らはこの現状を打ち破る何かを発明しなければならない。
もしそれが最悪の結果を招くものになってしまったらどうしよう。
僕らはきっと明日も眠れない。