いつの間にか「胸の鼓動」よりも「動悸」を感じるようになってしまった。
「好奇心は猫をも殺す」とは言うけれど、「君子危うきに近寄らず」、危うさに気づいて避ける力さえあれば、「もっと知りたい」という欲求のままに知識の海にダイブするのは最高の娯楽だ。
ただし、時々寝食を忘れてしまうほど深みにはまってしまうのはよろしくない。現実の生活を万全に整えた上で知識欲を満たすことは、人間に与えられた贅沢のひとつだ。
参考
き-ずな【絆】断ち切ることのできない結びつき。元は騎綱(き-づな。諸説あり)で、動物を繋ぎ止め行動を束縛するものだった。人に対しても、かつては「行動や感情を制限するもの」といった否定的な感情を伴う用例が主だったが、明治以降現代と同様の肯定的な感情を伴う用例も見られるようになったという。
引用
ほだし【絆し】①馬の足を繋ぎ止めるもの。また、手枷足枷。②自由を束縛するもの。特に、人情や義理が絡んで行動の妨げとなるもの。また、そのもの。
ほだ-す【絆す】つなぎとめる。束縛する。
ほだ-される【絆される】情にひかされて、心や行動が束縛され身動きならない気持ちになる。
(旺文社国語辞典より)
メモ
絆創膏
「絆」も「創」も「きずな」「きず」という良く似た訓が隠れているのが興味深い。それこそ「きず」を「束縛する」という意味なのだろう。身動きできずに傷ついて、そうして創られた傷を更に固定することで治そうとする。応急処置にはなるけれど、本当は時間にまかせて自然とかさぶたになって治っていくのが好ましい。けれどいつでも待つ時間があるわけじゃないから、やっぱり応急処置の絆創膏を貼って立ち向かっていかなければならない場面もある。
げん-じつ【現実】目の前にあり、今向き合わなければならないこと。―とうひ【逃避】今現在向き合わなければならないことから逃げ、気を紛らわせるためにやらなくてもよいことをして時間を浪費すること。現実の問題は「やっていない」という事実だけが残ることが特徴。
本当に戦争が始まると思ってなかった。まずは街への爆撃があって、すぐに罪のない人々の命が奪われた。ほんの数日前まで、不安を抱きながらも平和に暮らしていた人々が、ある日を境に無理やり命を奪われる。これは過去ではなく、現在進行形の出来事だ。
ニュースのコメンテーターが言っていた。「戦争は始まったらなかなか止められないと、この一年間私たちは思いしらされてきた。けれども、人が人の命を奪うという行為を、決して肯定することはできない。戦争が終わるという希望を見失わずに反対の声を発信し続けることが、今の国際社会にできることだ。」
広大な宇宙の中では、人間同士の争いも命も、ほんのちっぽけな存在なのだろう。それでも、その小さな命は唯一無二のものだ。小さな命に許された時間を、誰もが懸命に生きている。本当にちっぽけな存在だけど、同じ時代を共に生きている誰かにとっては、掛け替えのない何よりも大きな存在だ。決して他人から理不尽に踏み荒らされていいものではないのだ。