Fujino

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9/25/2024, 11:26:47 AM

窓から見える景色を眺めていると、今いるここが私の街だと言えるようなったと感じる。
もちろん「この街は私のものだ!」という意味ではなく、「ここが私が住んでいる街だ」という意味である。

ふるさとを離れて一人暮らしを始めてから、およそ10年が経った。
私の地元はドがつくほどの田舎なので、窓から見えるものといったら山や畑、田んぼしかなかった。

引っ越した先は都会というほどではないけれど、私が育った場所からすれば充分町中といえる。車通りも多く、昼間は子どもの遊び声がよく聞こえてくる。

田んぼなんてまったく見えないこの景色に最初は馴染めなかった。
ずいぶん遠くまで来たものだと思った。
地元を離れたのは自分の意志だったので後悔はなかったが、環境の変化が大きく慣れるまで苦労した。

けれどふと窓の外を見れば、この街のことがあれこれ分かるようになってきた。
あの辺りにはどんなお店があって、よく飲みに行く友達の家がどこにあるのか。遠くに見える橋の上から夕日がきれいに見えることとか。
そんな小さなことが積み重なって、ようやく「私の街」という実感が湧くようになった。

その代わりたまに帰るふるさとの景色がどこかよそよそしく、他人行儀に感じる。
それが少し寂しくて、でもきっとこの先戻ることはないだろうと思う。私は故郷ではないこの街で生きていく。


「窓から見える景色」

9/22/2024, 7:00:07 AM

春は出会いの季節。新たな環境で思わぬきっかけから恋が始まる予感に満ちている。

夏はあらゆる場所にエネルギーが溢れている。山に海に花火大会と、一時の興奮が刺激的な恋愛のスパイスとなる。

冬は人肌恋しい時期だ。クリスマスにバレンタイン、イベントにかこつけて気になるあの人とお近づきになれるチャンスだ。

では、秋の恋とはどういうものだろう?
「秋といえば……食欲の秋?」
「そうだけど、恋愛って感じじゃないよね〜」
「あんたにはまだ早かったか。花より団子だもんね」
「うるさいな……。じゃあ二人は何か思いつくの?」

「うーん……秋ってちょっと切ない気がするよね。別れの季節とか?」
「切ないは分かるけど、別れってイメージはないんじゃない?」
「だよね。あ、芸術の秋ともいうから美術館デートとか、映画デートとか!」

「えー!私どっちも興味ない。それより果物狩りとか、モンブラン食べに行きたいなー!」
「結局食欲の秋じゃん!!」
「やっぱり私たちに恋愛はまだ早かったか〜」

「秋恋」

9/12/2024, 11:33:43 AM

「運命の出会いが見つかる」
「本気の恋、はじめませんか?」
画面に何度も現れる広告たちにうんざりとして、パソコンを閉じた。
おそらくマッチングアプリだろう。最近は本当に多い。

私は恋愛感情というものがよく分からない。
今まで誰かを好きになったことがないし、恋愛モノの映画や漫画の登場人物に共感したこともない。
でも周りの友人たちは当たり前のように恋をしているし、ずっと恋人をつくらない私のことを変人だと言う人もいる。
世の中は恋愛が前提であるかのようにまわっている。

このまま一人でいいのだろうかと、将来が不安になる日もある。
でも恋愛を通してしか誰かと繋がれないというのなら、きっと私には一生無理だろう。
気持ちを偽って誰かと一緒になるなんて不誠実なこともできない。生真面目すぎると自分でも思うが、こればっかりは仕方ない。

溜息をついて立ち上がる。気分転換に散歩にでも行こう。
くよくよ悩んでいても仕方がない。
私は人生を楽しく、自分の心のままに生きると決めたのだ。たとえ一人でも、隣に誰かがいなくても。
私を幸せにできるのは私しかいないのだから。

「本気の恋」

9/11/2024, 11:56:24 AM

私はズボラで怠惰な人間である。
そんな自分の性格を目に見える形で突きつけてくるのが、日めくりカレンダーである。

何年か前に買った日めくりカレンダーは、早々に時を止めてしまった。もちろん止めているのは自分である。
カレンダーとしての役割は果たしていないが、描かれているイラストが好きなので、捨てずに部屋に置き続けている。

変わらない日付を横目に日々を過ごしている。
最初の頃は今日もめくらなかったな、と罪悪感をおぼえていたが、今はなんにも感じない。
私のような人間と日めくりカレンダーの相性はすこぶる悪い。

「カレンダー」

9/9/2024, 10:41:10 AM

「Only one」を目指すことは「No. 1」になるよりも難しい。

朝井リョウさんの「死にがいを求めて生きているの」という小説を読んで、そんなことを思った。
この小説は主に平成生まれの登場人物たちが「自分らしさ」を求めて足掻く物語である。
ある人物はこの考えがいきすぎて、「自分探し」=「死にがいを探すこと」になってしまっている。そしてなければつくればいい、という考えにたどり着く。

あの頃あちこちで流れていた「世界に一つだけの花」は、私たちに「1番じゃなくていいんだよ」「みんな特別だよ」と言ってくれていたけれど、それだけではだめなのだ。
結局誰かと比べないと「自分らしさ」なんて分からない。他人の目を通さなければ自分を確立できない。
まるで呪いのようだ。

平成が終わり令和が始まっても、この呪いは続いている。
「ただ生きているだけでいい」とみんなで思えるようになる日がいつか来るだろうか。

「世界に一つだけ」

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