ひとはお互い相手の一番理解したい部分がわからないように出来ているからとっても不便なものですが、それがひとつの優しさだと気づいたのは一体いつからでしょう。目も耳も塞ぎたくなるような世界に生まれるよりはよかったのかもしれない、だけど今日も僕は言葉と視線の中身が上手くわからなくて苦労しています。どうしているの、とも訊けずにただもがいています。
(心と心)
肌同士がぴたりと触れ合うだけで、中の導線が繋がるように相手の血流や鼓動を感じるから、人のからだはふしぎだ。手のひらには何の薬も塗っていないのに、握られると安心したり気持ち悪くなったり愛しくなったり緊張したりする。どれだけ楽しく遊んでも、手を繋いで帰る時間がいちばん心地よかった。出来たらまた、手を繋いで、そのぬくもりも楽しさも分けてくれると嬉しいです。
(手を繋いで)
誰もいないはずの部屋に改めて誰もいないことを確認。寂しがり屋なの、心の隙間を埋めるように散らばり置かれたモノたち。綺麗さっぱり掃除したらまた寂しくなるから、きっと一生ごちゃごちゃしているままだ。きみたちだけはどうか味方でいてください。そう思いながら今夜も部屋に身を沈めます。
(部屋の片隅で)
瞼を閉じきれないほどの何かへの不安や執着、一見とても不快でたまらないものですが。自分が確かにこの世で自分を生きている、自分の心がある、その証拠でもあるのかもしれません。ただ何も考えずに眠れるだけになれば最後、もうそこにあるのは機械だと思うのです。空白のままにただ動き、ただ眠り、覚醒して。そんなことになればどれほど恐ろしいでしょう、そう考えて眠れぬ夜になる。
(眠れないほど)
薄暗い灰色のぼんやりと心地良いような悪いようなところから抜け出せないでいる、何もかも夢だったらいいのに。そう思うでしょう?でもこうしてこの星の上とこの空の下で息をしている限り、来る日々を生きてゆかなくては。夢は人生の休憩所なのだ、残酷なことだ。目が覚めたらまた、生を歩もう。そして疲れたらまた、夢で会いましょう。
(夢と現実)