風が運ぶもの
テレビのテロップ、SNSにネットニュース。
いつものように電波に乗った沢山の言葉を眺めていると、ふと「風評被害」という単語が目に入った。
風、か。そういえば「風の噂」なんて言葉もあるよなあ。
どうやら言葉はかつて、風が運ぶものだったらしい。
瞬時に世界中へと届く電波と違って、風の運ぶ言葉はどんなだっただろう?
きっと運ばれる間に細切れになって、風の音にところどころが掻き消されて、原型を留めないままに思いも寄らない場所へたどり着いたりしたんじゃないだろうか。
そして、風が去ると共に立ち消えて行ったのだろう。
一瞬で吹き抜けていく幻のような言葉の紡ぐ物語は、嘘か本当か確かめるすべもない。
あらゆる言葉が記録として、証拠として残されてゆく現代とは真逆の性質を持っていたのだな。と不思議に思う。
私の言葉も、たまには風に乗せてどこかへ運んで貰おうか。
question
2013
どうして私はクラスに馴染めないのかな。
何故みんなとうまく話せないのかな。
今日グループで話してた時、私の受け答え変じゃなかったかな。
なんで私はあの子みたいに可愛くないのかな。
2023
どうしてお父さんは死んじゃったのかな。
なんでよりによって流行りの感染症だったのかな。
最後の時は手を取るのもゴム手袋ごしで、お父さん嫌じゃなかったかな。
今、寂しくないかな。
誰に向かって聞くでもない、嘆きのような、独り言のような沢山のquestionは、私の頭の中に産まれては答えも得られないまま、いつでもふわふわと漂い続けている。
20年も経つとその内容も大分変わったなと思う。
今に比べれば若き日の疑問を取るに足らないことと思う人もいるかもしれないけれど、昔も今も、同じくらい真剣で必死に問いかけているんだよ。
こんな雪の舞い散る夜には、あの日あなたと交わした約束を思い出す。
あなたは私の目を真っ直ぐに見ながらこう言ったの。
──約束しよう。僕は誓って誓約するという契約を結ぶことを協約すると確約する。これらの全てを取り決めて契りを交わそう──
いまだに私は彼と一体何を約束したのか、わからないの。
はらりと散る花が
ひらりと舞って
ふわりと浮かんだ
へたりと座り込む僕
ほろりと泣いた君
また会えるよね?
みんなで来れるよね?
むりやり作った笑顔の
めに涙が浮かんでいた
もう、さよならなんだね
やさしさをありがとう
ゆめでまた会えるから
よるの入り口で待ってて
『その日、アパートの小さな部屋で私は本を読んでいた。時計は23時を少し回ったところ。静かな夜だった。
突然、ドアをノックする音がした。トントン、と軽く二回。私は本を閉じ、眉をひそめた。こんな時間に連絡もなしに訪ねてくる人なんて誰もいないはずだ。「誰かしら?」と小さく呟きながらドアの覗き穴を覗くが、そこには誰もいない。不安を感じながら私は』
──ここまで打って、私はキーボードを叩く手を止めた。
今時「誰かしら?」と呟く女性がいるだろうか?いや、いない。絶対いない。
常々思っていたのだ。日本の創作文化における喋り言葉の不自然さについて。
「〜だわ」「〜かしら?」「〜わよ!」等の語尾はあまりに読み慣れて聞き慣れてしまっているけれども、もしも現実世界で使ったら明らかに不自然だ。
取るに足らない私の創作と言えど、時代に合わせてアップデートしていくべきだろう。
「誰かしら?」の部分をDeleteして打ち直す。
「誰だろう?」
……言うか?独り言で、誰だろう?って、言うか?微妙過ぎる。
再びDeleteして打ち直す。
「誰かな?」
いやいや言わんだろ!
こうして私は言葉の迷宮に迷い込んだ。
「誰じゃ?」
「誰かいな?」
「誰だ?」
「誰なのだ?」
「フーアーユー?」
わからない、もう私はわからないよ日本語が。
こうして私はこの1行を消しては書き直しを繰り返し、ついに迎えた深夜2時。
「もう、これでいいや……」
とどうにか完成させてパソコンを閉じた。
翌朝。
記憶が曖昧なままに書き上げた文章を確認する。
そこには
「誰でござろう?」
と書かれていた。
誰でござるか?よりによってこの語尾を選択したのは。
私でござる。
……設定を江戸時代に変えなきゃなあ。
私はため息をつきながら「アパート」を「長屋」に、「本」を「巻物」に打ち直した。