『その日、アパートの小さな部屋で私は本を読んでいた。時計は23時を少し回ったところ。静かな夜だった。
突然、ドアをノックする音がした。トントン、と軽く二回。私は本を閉じ、眉をひそめた。こんな時間に連絡もなしに訪ねてくる人なんて誰もいないはずだ。「誰かしら?」と小さく呟きながらドアの覗き穴を覗くが、そこには誰もいない。不安を感じながら私は』
──ここまで打って、私はキーボードを叩く手を止めた。
今時「誰かしら?」と呟く女性がいるだろうか?いや、いない。絶対いない。
常々思っていたのだ。日本の創作文化における喋り言葉の不自然さについて。
「〜だわ」「〜かしら?」「〜わよ!」等の語尾はあまりに読み慣れて聞き慣れてしまっているけれども、もしも現実世界で使ったら明らかに不自然だ。
取るに足らない私の創作と言えど、時代に合わせてアップデートしていくべきだろう。
「誰かしら?」の部分をDeleteして打ち直す。
「誰だろう?」
……言うか?独り言で、誰だろう?って、言うか?微妙過ぎる。
再びDeleteして打ち直す。
「誰かな?」
いやいや言わんだろ!
こうして私は言葉の迷宮に迷い込んだ。
「誰じゃ?」
「誰かいな?」
「誰だ?」
「誰なのだ?」
「フーアーユー?」
わからない、もう私はわからないよ日本語が。
こうして私はこの1行を消しては書き直しを繰り返し、ついに迎えた深夜2時。
「もう、これでいいや……」
とどうにか完成させてパソコンを閉じた。
翌朝。
記憶が曖昧なままに書き上げた文章を確認する。
そこには
「誰でござろう?」
と書かれていた。
誰でござるか?よりによってこの語尾を選択したのは。
私でござる。
……設定を江戸時代に変えなきゃなあ。
私はため息をつきながら「アパート」を「長屋」に、「本」を「巻物」に打ち直した。
3/2/2025, 10:41:57 AM