「星だ!」
私が飲んでいたクリームソーダのコップを指して、隣の席の子供が嬉しそうな声で笑う。
下から上がっていく空気の粒…言うほど星かなぁ?
「そこから、空に上がっていくんだよ!
空に上がって、ぴかぴか光るんだよ!」
子供は自分の母親に、得意そうに説明する。
そうか、コップの狭い世界を出て、果てのない空に行くのか。
それはきっとこの子供の視野のように、のびのびとできることだろう。
でも、その星のこどもは大半が私のお腹に入っていくのだ。
ストローを上るクリームソーダを見て子供が残念そうな声を上げるので、私は少し笑ってしまった。
「安らか」でググるとその言葉の説明がヒットするけど、「安らかな瞳」でググると御臨終やら葬儀やらがヒットするので、今回はその事実だけを書きますね。
私が写る写真、1年に1枚には必ず「それ」がいる。
場所も状況も選ばずに写り込むものだから、証明写真にそれがやってくると面倒なことになる。
正体はわかっている。
小さい頃によく一緒に遊んだ、近所の犬だ。
その家の人達はみんな成人だったから、犬と一緒に…というより近い目線で遊ぶ人がいなかったらしい。だから引っ越してきた当時小さかった私がいい遊び相手になったそうだ。
だから時々一緒に遊ばせてもらったし、写真もたくさん撮ってもらった。
犬が理解するしないにかかわらず、犬と一緒の写真を私は持っていき、一緒に見た。
だからだろう。
犬が寿命を終えてから、ぼんやりとその影のようなものが写るようになったのは。
私はその犬が大好きで、犬もきっとそうだ。
だから、このままでいい。
このまま一緒に写っていくのだ。
私がそちらに行くまで、ずっと、隣で。
由季の日常は、ベッドと机の本棚くらいしかない狭い部屋の中で完結する。
パソコンを前に仕事をし、欲しい物は配達を頼む。
外に出たくない、人と会いたくないという願いのみを叶える城で、ただ命を消費する。
それだけでよかった。
願わくば、この平穏な日常が続きますように。
過ぎ去った日々で簡単に浮かぶのは、子供の頃。
まぁ、ありきたりだ。
高校を卒業した頃、就職もできなくてやることがなかったから、図書館によく行った。
夏に、図書カードの裏て書いてある地元の地区内の図書館の名前と地図を頼りに、自転車にまたがって朝から図書館巡りをした。
メチャクチャなことをしたと今では思うが、あれはなかなか実のある行動だった。バスの路線図も役に立った。
暑さで参りそうになったが、道中の商業施設や古本屋等に寄り道をしたおかげで救急車の世話になることなく巡ることができて楽しかった。
初めて入った図書館の、初めて見る本やCDを持ったまましばらく書架を眺めて行ったり来たり。
やっと貸出の手続きをして、また自転車を漕いで次の目的地へ。
あれは本当に楽しかった。
憧れた「冒険」をした気分だった。
あの日々は過ぎてしまい、またあの図書館に行くとするならバスを使うだろう。
その窓から、赤い自転車を漕いで汗を流す私を見て懐かしい気持ちになるのだ。