結羽

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11/29/2023, 10:54:27 AM

「この歌をおわらせないで」



まだだ、まだ曲を止めるな。

ルノアの合図はラシーアに届いたか。
確かめるすべもなければ、状況を伝えてくれる者もいない。
この歌劇が幕を下ろせば、すべての徒労は泡沫と帰す。それだけは、何としてでも避けねばならない。
『安心して。わたしが公爵の気を引きつけるから』
彼女の言葉を信じて我々は“ 要塞 ”へ向かう。
公爵が少しでもこちらの動きに気付けば、人質もラシーアも無事では済まない。
『気をつけて、未紗ちゃん! その先は――』
寸時に聞こえた彼の声も、またノイズに掻き消されてしまう。要塞の発するジャミングウェーブだ。
「シェジフくん? シェジフくんッ!!」
未紗はインカムを握り締めて叫ぶ。返答はない。
もともと秘密通信支部局であった【シドルベイ】の事だ、外部からの傍受対策をしていない筈などないことは容易に想像できていたのだが。
「通信が途絶えた……どうしよう、中の状況が分からない」
要塞への防壁は三十層と隔てられており、一層一層の権限名も異なっていて厳重なセキュリティで閉ざされている。
しかし足を止めていては人質救出までに間に合わない。事は一刻を争うのだ、未紗に逡巡している時間はなかった。
「頼むラシーアさん……もう少しの間耐えてくれ」
ガラスの靴がなければ演者は踊れないと、誰が云った? こちとら砲撃に耐える鉄甲の躰もあれば、翔ぶための翼もある。
彼女が地底の劇場で舞うのなら、こちらは空の壇上で躍り狂おうじゃないか。
「術式展開――“ 剪逆 ”!!」
時計の針は“ VII(ジューテ) ”の方角を指し示す。
踊り出しに合わせて翼はさらなる機銃を展開する。
未紗の銃剣に閃雷が迸る。

「さあ、公爵……子供たちを返してもらおうか!」

耳をつんざく轟音――。
壁は一気に貫き灼かれ、辺りを豪炎が覆い尽くし、あとは鈍いばかりの余韻が脳を、躰を軋ませる。
何層の防壁も、如何なる鋼鉄の轍も、天地を越えた協奏の劇を前にすべては無力な鉄屑と化す。
未紗とラシーア。たとえ手を取り共に踊れずとも、二人の目が捉える敵は同じだから。



“ たとえ傍にいなくとも、あなたと同じ旋律で。 ”



2023-11-29
(2023-11-28のお題「終わらせないで」を使用させていただきました)

11/24/2023, 2:02:29 PM

「おさがりのセーター」



いくら服装にこだわりのない未紗とはいえ、医療従事者として最低限の身なりは心がけている。
それでも家の中ではいろいろと緩くなってしまうもので、だいたいは叔母のおさがりで冬を凌いでいたものだ。
さてタンスの中身を片付けている間に出てきた穴の空いた紺色のセーターをどうしたものかと、たったいま未紗が畳んだ服の上で暖をとっているミコと視線が合った。
「……着てみる?」
さすがに貰い物を捨てるのはしのびないが、次々と受け取っていては溜まっていくのは仕方ないものだから、サイズの合わなくなった服は近所の子供に譲ったりハンカチや枕カバーとして再利用していた。
そして今、叔母から去年貰い受けて割とすぐに編み目の切れた紺色のセーターを冬毛のミコがじっと見ている。
ミコの冬着として加工するか……余った袖は手袋にでもしよう。ふと思いたった時に自分の手先が器用でよかったと痛感する。幸い施術の手際はセレーナの看護師長に褒められているので、布を継ぎ接ぎ合わせる程度なら問題はない。
セーターの寸法を測っていたところで、LINEの通知が鳴った。鈔珱からだ。目視だけで通知をさばくと新雪の積もった洛陽の景色が次々と送られてくる。
「向こうの雪は新潟よりも冷たいのかな」
冬は自室にこもっているので目立った厚着をする習慣は未紗にないが、鈔珱は年末も遅くまでバイトだと聞いたので夜道はさすがに冷えるだろう。
アリシエにセーターを編む約束をしていたので、彼女と同じ色の毛糸を選ぶとするか……元より、アリシエが大人になっても着られるようにと大きめの型紙をとっていたから、鈔珱と同じサイズでも問題はないはずだ。アリシエも、大好きな鈔珱とお揃いできっと喜ぶはず。普通こういったペアルックというものはマフラーでやることの方が多いと思うが、さすがに自分の編んだマフラーで街を出歩いてほしくはない。謎の羞恥心が未紗にはあった。
「セーターなら重ね着もできるし、いろいろと着回しできて便利だよね。俺には縁のない話だけど」
それにチクチクするし、洗濯も大変だし。そういって毎年ユニクロのスウェットで冬を越す未紗に、結花がよく苦笑いしていたものだが。
「さて、アリシエの採寸にいこう、ミコち。ちょうど鈔珱のバイトも終わる頃だろうし」
今日は早番だから夕方までにはセレーナの支局に来られると言っていた。未紗は早々に身支度をして、ミコをペットケースに迎え入れていつもの“ 秘密基地 ”に向かう。

タンスには、まだ防虫剤の匂いが染みたセーターの山がたくさん眠っている。それもみんな、叔母が未紗に遺したあたたかな“ おさがり ”だった。