過ぎ去った日々
過ぎ去った日々に今日も自分は想いを馳せる
肥後さ肥後何処さと謳う
肥後の場所なぞ一切わからないのに
その御山には狸がおってさ
それを猟師が撃ってさと
口ずさむ
絆と人は言う
でもその絆はたった一筋の太刀によって
切られるかもしれない
その絆が本当でも鎖に繋がれて絡み合う
運命なのかもしれない
過ぎ去った日々を忘れ、時にふと思い出し
最後に己を信じぬいたものだけが生き残れると
思う
自分は太く短くを信念に生きていたかった
途中何度も真っ暗な闇に堕ちた が
そこには(私)を欲しがる…いや書かないでおく
何にせよ狂ってしまった世界であるならば
痛覚を麻痺させて最後まで己を信じ抜くことを決めた
過ぎ去った日々に さよならを
お題 たまには
昔の記憶 遠い夢の泡沫の記憶
自分が自分でなかった頃 瑞穂の国または秋津島に
行く前に琉球という國に行ったらしい
たまたま通ったとも言える
主様に【國が危険でございます。仙女である御主人様とて危険であると申し上げます】
このように告げたらしい
そこで琉球の國を通って今では暁すら見えない日の出國を目指したそうな
自分と仙女様は大層歓迎されたと言われる
当時から『日の出の国 黄金と称された国 瑞穂の国』よりもこちらの方が交流があり、一つの【國として認められていた】からである
ただ、その時はその当時の姫君に気づかなかった
いや、女神だったのかはわからない
しかし、姫か女神かわからないが歳上だったにもかかわらず自分は歳下の方と勘違いをしてしまった…そうな
本当にたまたまだった また、朝が来ると覚める夢
泡沫であり月城なのかもしれない
ふと、根の国であるニライカナイを探したからなのかもしれない
ひな祭り
健やかにと願う 私の子どもたち
と、私には子供はいないけど雛人形を飾る
何故なら3月3日という子供が喜ぶ日に
つまるところ、私にとってとても嬉しい日に祝わない理由はないからだ
大したものではない
だけど、作って飾り、そしてしまう
どうかこの先【祝福され】【幸せになってほしいから】
と
偽善と笑われても構わない。私は逆にそのような人がいたらあぁ悲しい人だと視るだけである
私は子供の頃、お雛様を飾ってもらえたし嫁に行ってほしくないからと仕舞われなかったが
ある時母に「孫はいらない。めんどうだし子供嫌いだからね」 と言われた
しかし、それも時が経つと不思議と薄れる
悲しい記憶が。母もたくさん苦労をしたから
今元気で生きているだけでいい 雛人形を飾ってもらえたことが何よりも【私にとってのお祝い】だったから
だから私は子供がいない
けれど飾る 子供たちが 幸せになれますようにと
私は子供が大好きだから
お代 人としての死
「あっ、飛び込み事故だ…。またか迷惑だな。こんなところで死ぬなんて運転手さんなんか酷いトラウマになるし、残された家族も凄く賠償求められるだろうし。アタシは…推しのやつに間に合わないじゃん!最悪…。他で死んでくれればよかったのに!」
そう、本当の死というのは
誰が【死という選択を取らざるを得なくなったことに気づかないで麻痺をして、人の心というものを失ってしまった】こと それは人ではなく機械であって【心】をうしなってしまった
『己自身の死』であるから
I LOVE
と書いて『あなたが好きです。あなたを愛しています』
というのはストレートすぎるのかも、と少し考えてみる。
とてもシンプルで単純な言葉だが、少し変えるだけで意味付けが変わるからだ。
I LOVE YOU
I LOVE TIME
と、少し加えてみる
これで【あなたを愛しています。あなたと過ごした時間も含めて】と読めないかなと