街へ
静かな住宅地に住んでいるが今日は街へ足を伸ばしてみた。一ヶ月遅れ?と勘違いしそうになるぐらい仲睦まじい恋人たちが多く、あぁいいな、と微笑む。
例えばその恋が後に別れになっても、傷になったとしてもその時の幸せがある。それでいいのかもしれないと自分の過去と重ねてみる。
何年も引きずるのか。それとも切り替えるかは
本人次第だから。
夜のライトアップの中、雨が降っていた。
小雨。傘をささなくてもいい程度の。
雨でその恋の記憶が流れるのか
雨の中その記憶を引きずるのか
どちらなのだろうか
名もなき手紙
名もなき手紙を私はもっている。いつの時代のものか一歳わからない。字が古い、汚い。しかし、必死に書いたという筆跡が残っている。日本語で。
よくわからないがこの手紙にはこう書かれている。
「貴女に会いたいと、ずっと忘れられない貴女を探して旅をした旅人です。貴女に会えるまで諦められない。星にも願うけど虹にも願うけど何故か会えない 貴女へ」
…少し前のとても人気を博した物語、の手紙と似ているようでやや異なる。 続きにはこのように書かれているからだ。
「生前に助けていただいてから、そしてその後も墓に行くたびに
『あのねぇ、お嬢さん。死んだ私の財産のお礼なんていいんだって』
『白米を混ぜることなく食えただけで、その上売られる前に…なんか痛みもなく殺してくれた貴人、いやその方も泣いてて困ったんだけどさぁ』
『むしろそれ使って生きてくれよ。べっぴんさんなんだからさ。なんで江戸の下にいたのか私にはよくわからんけど前向きなよ。それとこの記憶なんて捨てな』
『今のあんたさんがこの話をして誰も信じ無いだろ?あん時よりさらに美人になったな。まぁ過ぎたものはないんだ。どうしても私に会いたいなら』
『本当の覚悟ってものをとあるところに突きつければいいんじゃないの?』
その覚悟は…ある!私にはありますから!」
と、涙の跡で書かれていた。
…さぁ、私にはなんのことがわからないし非科学的なことは嫌いなのだ。伝承と信仰に、統計学によるものなら信用するがそれでも違う世界にいるものが出会えるわけがないのである。
逆光
写真撮影をする際に特に気をつけるのが逆光である。
どのような被写体であっても真っ黒になってしまうからだ。しかし、意外なことにこの黒が塩梅となってよい物が撮れたりする。
その法則は実生活でも生きるのでは?物語でも生きるのでは?と考えてみた。
逆光があるなら、その被写体が黒いのなら反転してみると
実は逆光側、つまるところ順光側もその様になるのではないのかと。光と影は表裏一体。裏表も当然あるのは然るべきこと。
自分が逆光側だと思い、見直してみると…意外と?順光側で光を浴びるものかもなどと。これは物語でも使えるのだと気づいた。
あくまで、可能性の話に過ぎなくて。
あくまで、そういう分岐点なのかもという
誰か一人の予想に過ぎない。
こんな夢を見た
実に不可解な夢である。自分の飼育している動物ではないのにわかってしまう。そしてそれがおかしなことに。
著名な映画作家であるかの作家の作品はまだ観ていないのだが
鳥が兎に角でてきたのであった
何故か逃げ出したが飼い主のもとに戻された黒漣鸚哥
それは幸せだったのか?と今思う。なぜなら飼育環境がよくなかったからだ
またしても不可解な鳥を観た。十姉妹の二羽だが…毛が生えてない部分がおかしい。そして狭い籠の中で…と。
私も魘されていたが、とある貴人しかして戌であろうか?に道案内されて夢から覚めたのであった。
こんな夢を見たが、あまり現実になってほしくない
と自宅の動物たちを見て思いに耽るのである。
特別な夜
普段と違う 特別な日である
誰かのためにと自分に言い聞かせた 嘘自体は
ついていない 身勝手な自己犠牲でもない
自分もある程度の痛みを負えばある程度
助かると思っている(いた)からだ
ただ、その心の奥で本当は欲しいな…
羨ましい 悪いことは何もしてないのにと
じわじわと何かが霞む 濁る 曇る
しかし、それは自分らしくない
やはり楽しく生きるのがモットーなのさと進んでみると
クリスマスの夜にサンタクロースが届けるのを
忘れてしまったかのように今日はとてもたくさんの
素敵なものが届いた 驚いたこともたくさんあった
こんな素敵な夜はあなたと乾杯したい