こんな夢を見た
実に不可解な夢である。自分の飼育している動物ではないのにわかってしまう。そしてそれがおかしなことに。
著名な映画作家であるかの作家の作品はまだ観ていないのだが
鳥が兎に角でてきたのであった
何故か逃げ出したが飼い主のもとに戻された黒漣鸚哥
それは幸せだったのか?と今思う。なぜなら飼育環境がよくなかったからだ
またしても不可解な鳥を観た。十姉妹の二羽だが…毛が生えてない部分がおかしい。そして狭い籠の中で…と。
私も魘されていたが、とある貴人しかして戌であろうか?に道案内されて夢から覚めたのであった。
こんな夢を見たが、あまり現実になってほしくない
と自宅の動物たちを見て思いに耽るのである。
特別な夜
普段と違う 特別な日である
誰かのためにと自分に言い聞かせた 嘘自体は
ついていない 身勝手な自己犠牲でもない
自分もある程度の痛みを負えばある程度
助かると思っている(いた)からだ
ただ、その心の奥で本当は欲しいな…
羨ましい 悪いことは何もしてないのにと
じわじわと何かが霞む 濁る 曇る
しかし、それは自分らしくない
やはり楽しく生きるのがモットーなのさと進んでみると
クリスマスの夜にサンタクロースが届けるのを
忘れてしまったかのように今日はとてもたくさんの
素敵なものが届いた 驚いたこともたくさんあった
こんな素敵な夜はあなたと乾杯したい
海の底
水底から見る景色
かつての日出る国の本来の 輝いていた真の時代か
しかしてそれは本当に素晴らしいものだったのだろうか
ひと粒でも残してはいけない
残すのは許されない
私はこの言葉が呪いと化していると常々思っている
西洋ならドワーフ 妖精の類はあまったものを
分けることによって家の手伝いなどをしてくれる
東洋なら捧げ物 おすそ分けで助けてくれる妖怪
そういう目には見えないが力を揃えてくれるというのは
古今東西今昔必ず有るからだ
信仰力すら必要なし ただ思い 分ける
それだけでいいのである
海の底
よくも悪くも水ほど恐ろしいものはなし
五行思想でも軽視しにくくも当たり前だと
というお話
火がある生活に慣れすぎると己見失い森(木)迷い
悪鬼もしくは帰らずの海のモノ か
音さえわかれば終わるときですら生きていたいなら
わかるはず おそらく きっと
閉ざされた日記
日々文を綴るのに日記というものは使う
良いことも悪いことも悲しいことも怒ることも
頭の容量を超えて消えても残るようにと
写真や模写などもつけられるとなおよい
偽りの記憶ではなかったと
確信をもって日々を振り返ることが
できるからだ
あとで思い出したくないことであれば
閉ざしてしまえばよいのも優れている
嫌な、苦い、痛い、辛い、苦しいと限界が
来たときに封印することができる
楽しい、幸せ、嬉しい、起こった奇跡
があれば開けば良い
人は日記というものの可能性に
まだあまり気がついていないのかもしれない
木枯らし
とても痛すぎた悲しすぎた裏切り
一つだけでいいと それは最高の自分の心の
宝物だからと叫んでいた
それなのに不条理なこの世界
三つも出して自分には多い多いからと
やめてほしいととにかく狂う
そして真実を知った時
あまりに痛すぎた 辛すぎた そして
たくさんの涙が 怒りが
それ以上に
優しさが辛すぎて泣きじゃくるしか
できなかった まるで木枯らしが吹く
そんな気持ちだった