これは、当研究所の研究員による実験記録である。
■『人間の感情を搭載したロボット実験』
□データ採取について
【対象者】20代〜70代の男女100人
【実験内容】対象者を当研究所の実験施設に収容し、〈喜怒哀楽〉を含む様々な感情データを記録。
□試作ロボットについて
解析・統合した感情データを4体の試作ロボットに搭載する。
なお、故障した場合の代替機として1体の試作ロボットを用意する事とする。
■試作ロボット01号
・人間の感情 ――『喜び』を搭載
■試作ロボット02号
・人間の感情 ――『怒り』を搭載
■試作ロボット03号
・人間の感情 ――『哀しみ』を搭載
■試作ロボット04号
・人間の感情 ――『楽しみ』を搭載
■試作ロボット05号
・代替機
□記録
R6.9.01
4体の試作ロボットを実験場に移す。
試作ロボット01号(以下〈喜び〉とする)と同・04号(以下〈楽しみ〉とする)は意気投合したかのように常に2台で行動している。
試作ロボット02号(以下〈怒り〉とする)は、壁や床などを叩く暴力行動が見受けられた。
試作ロボット03号(以下〈哀しみ〉とする)は部屋の隅で静止している。
R6.9.07
〈怒り〉により、〈喜び〉および〈楽しみ〉が破壊される。
破壊された〈喜び〉および〈楽しみ〉の本体は回収済である。
なお、破壊行動の直前に〈怒り〉のストレス値が最大値を記録していたことが判明した。
〈喜び〉および〈楽しみ〉が破壊されたことを感知した〈悲しみ〉は本体への充電を拒絶した。
R6.9.10
〈哀しみ〉が電池切れにより完全に停止。
R6.09.11
本来運用しないはずの試作ロボット05号が突然動作を始める。
実験場のコンセントに許容電流以上の電気を流し「過電流」を発生させた。
これにより、コンセントが発火し実験場で火災が発生。
この火災において、〈怒り〉および試作ロボット05号、停止していた〈悲しみ〉を含め3体を焼失。
□総括
試作ロボット5体の喪失により、実験は一時的に中止とする。
なお、試作ロボット05号の行動原理は現時点では判明していない。
しかしながら、仲間を失った〈喪失感〉による行動として、試作ロボット05号を〈喪失感〉と名付けることとする。
『喪失感』
その男は、世界に一つだけしかない〈あるもの〉を探して旅をしている、と言った。
「世界中を?」と私が聞くと、彼はチェシャ猫のようなニンマリとした笑みを浮かべ答える。
「もちろん」
私は何故だかクールな自分を装い「ふうん」と返すのが精一杯であった。
内心は今すぐにでも〈あるもの〉の正体を尋ねたい衝動に駆られていたのに。
「君は聞かないんだね」
彼はそう言うと、少し不満そうな声でこう続けた。
「俺の探しものが何なのか、みんな目を輝かせながら知りたがるのに」
興味が無いだけだよ、と心にも無いことを口にしたのち、私は再び本に目を落とした。
いつの間にか次のバスが来ていたらしい。
私の隣に座っていたはずの旅人らしき男は消えていた。
〈あるもの〉とは何だったのだろう。
作り話だったのかもしれない。
彼は旅人ではなく、探しものなどしていなかったのかも。
今や真相はわからずじまいだ。
頬を撫でる風が少し冷たくなったのを感じ、私は本を閉じた。
これからも彼は「世界に一つだけ」のあるものを探して旅をする。
それでいい。
私は目の前に停車したバスに乗り込み、ニンマリと笑った。
『世界に一つだけ』
「言葉はいらない、ただ…」
A氏との会話はそこで途切れた。
電池切れのスマホ画面に、己の阿呆面だけが虚しく映る。
「ただ…」
奴は何を言いかけたのだろう。
言葉はいらない。
代わりに何が必要だと?
A氏は十年来の付き合いがある友人である。些細な言い合いこそあれど、大きな喧嘩などしたことがなかった。
昨夜までは。
昨夜の私は、我ながら嫌な酔い方をしてしまった。二軒目の店でA氏の顔から笑みが消え、四軒目の店に奴の姿は無かった。
今朝、私は酷い頭痛と胸焼けに苛まされながらもA氏に電話することとなる。
昨夜三軒目に寄った店のマスターから、A氏に謝罪をしておいたほうがいいと忠告のLINEが入っていたのだ。
「…はい」
十二コール目でA氏と繋がった。
普段は遅くとも四コールで受話器を取るA氏だ。相当腹を立てているのだろう。
鈍痛で働かない頭とは裏腹に、私の口からは薄っぺらい謝罪の言葉が自動的に吐き出されていった。
A氏は何も語らないままだ。
そして時は訪れた。
「言葉はいらない」
私の薄っぺらな言葉を遮るように、やっとA氏が口を開いた。
それなのに。
「ただ…」
奴は何を言いかけたのだろうか。
私の頭は冷静さを取り戻し、次に取るべき行動を身体に指令する。
布団から立ち上がった私は、身支度を整え家を後にした。
続きを聞きに行こう。
「ただ…」の続きを。
奴の好物のどら焼きでも買って行くとするか。
爽やかな秋風を感じながら、私は晴れやかに歩を進めた。
ーーーーーー
その頃のA氏は『私』が電話をぶつ切りしたと勘違いし、さらに怒りを募らせていたのだが…。
それはまた別のお話。
『言葉はいらない、ただ…』
あれは確かに人影だった。
私は恐る恐る、再びカーテンの隙間から窓の外を覗いてみることにした。
ふと目線を上げると、雨雲で暗く覆い尽くされた空。
そこから激しい雨がもうずいぶん長いこと降り続けている。
だから、「普通」はいるはずがないのだ。
傘もささずに豪雨の中で佇む者など。
しかし、窓の外にはその「普通」でない者が確かにいたのである。
雨の中で佇む男は、拡げた両手を高く掲げていた。
まるで空から落ちてくる何かを受け止めようとするかのように。
「雨に佇む人」