「言葉はいらない、ただ…」
A氏との会話はそこで途切れた。
電池切れのスマホ画面に、己の阿呆面だけが虚しく映る。
「ただ…」
奴は何を言いかけたのだろう。
言葉はいらない。
代わりに何が必要だと?
A氏は十年来の付き合いがある友人である。些細な言い合いこそあれど、大きな喧嘩などしたことがなかった。
昨夜までは。
昨夜の私は、我ながら嫌な酔い方をしてしまった。二軒目の店でA氏の顔から笑みが消え、四軒目の店に奴の姿は無かった。
今朝、私は酷い頭痛と胸焼けに苛まされながらもA氏に電話することとなる。
昨夜三軒目に寄った店のマスターから、A氏に謝罪をしておいたほうがいいと忠告のLINEが入っていたのだ。
「…はい」
十二コール目でA氏と繋がった。
普段は遅くとも四コールで受話器を取るA氏だ。相当腹を立てているのだろう。
鈍痛で働かない頭とは裏腹に、私の口からは薄っぺらい謝罪の言葉が自動的に吐き出されていった。
A氏は何も語らないままだ。
そして時は訪れた。
「言葉はいらない」
私の薄っぺらな言葉を遮るように、やっとA氏が口を開いた。
それなのに。
「ただ…」
奴は何を言いかけたのだろうか。
私の頭は冷静さを取り戻し、次に取るべき行動を身体に指令する。
布団から立ち上がった私は、身支度を整え家を後にした。
続きを聞きに行こう。
「ただ…」の続きを。
奴の好物のどら焼きでも買って行くとするか。
爽やかな秋風を感じながら、私は晴れやかに歩を進めた。
ーーーーーー
その頃のA氏は『私』が電話をぶつ切りしたと勘違いし、さらに怒りを募らせていたのだが…。
それはまた別のお話。
『言葉はいらない、ただ…』
8/30/2024, 8:22:32 AM