その男は、世界に一つだけしかない〈あるもの〉を探して旅をしている、と言った。
「世界中を?」と私が聞くと、彼はチェシャ猫のようなニンマリとした笑みを浮かべ答える。
「もちろん」
私は何故だかクールな自分を装い「ふうん」と返すのが精一杯であった。
内心は今すぐにでも〈あるもの〉の正体を尋ねたい衝動に駆られていたのに。
「君は聞かないんだね」
彼はそう言うと、少し不満そうな声でこう続けた。
「俺の探しものが何なのか、みんな目を輝かせながら知りたがるのに」
興味が無いだけだよ、と心にも無いことを口にしたのち、私は再び本に目を落とした。
いつの間にか次のバスが来ていたらしい。
私の隣に座っていたはずの旅人らしき男は消えていた。
〈あるもの〉とは何だったのだろう。
作り話だったのかもしれない。
彼は旅人ではなく、探しものなどしていなかったのかも。
今や真相はわからずじまいだ。
頬を撫でる風が少し冷たくなったのを感じ、私は本を閉じた。
これからも彼は「世界に一つだけ」のあるものを探して旅をする。
それでいい。
私は目の前に停車したバスに乗り込み、ニンマリと笑った。
『世界に一つだけ』
9/10/2024, 7:44:43 AM