押し殺した泣き声が続いている。自分の上で蹲った長衣は背を震わせ泣いている。もっと大声を出していいと言うと、長衣は喉が絞まるから出せないんだと言った。長衣の背を撫でながら、暫く無言のままただ声を聞く。
「自分が嫌いなんだ。何も無いから。今迄で何もない奴は碌な事が出来ない、ならない気がするから。誰にも顔向けできない」
声も無い、血に啼く響は続く。
「こんな事を思うのも、皆への紛れもない冒涜だ」
どれ程血を流せど塞がらない、吐いて吐き切ることも成らない呻き。
「本当に、自分を貶めたのは自分自身なんだ」
呼吸は浅く、息が切れるのも無視して続けられた声の末尾は、震えた幽かなものだった。
「それで終わるのは他者への冒涜以前に、他ならぬ君自身への冒涜だ」
「わかってる」
静かな返事が成る。
「どうであっても、一度生まれたからには、君が君自身を捨てることは出来ないだろう。折れても挫けても、死んでも完全に捨てることは絶対にできない」
少ししてから、ああ。と長衣は返す。徐々に震えは消え、染めた色が抜けていった。
「今はまだ生きているから、帰るために歩こう」
光が極まれば色も無くなり、輪郭も消えていく。そこに罪科の一つも在りはしなかった。
全て澄んだ明かりの内、起きて立ち上がり、留めていた足を前に出す。今はまだ治っていない無数の傷を、歩む中でいつか全て満開の花に変えて帰ることが出来るように。
お題:透明
Iがあれば大体なんでもできるらしい。
ただし不可抗力。なおそれも解決するだけの模様。Iだからとのこと。
Iでできるのは生きること。
愛でできるのは生きる自分を根本的に愛すること。それは逃げることでも己を己に隠すことでもなく。
だと思う。多分。未だあいのわからぬ未熟者青二才の感想。
子供だから執着すると言うか、執着するから子どものままというか。
ぶつぶつと独り言を言いながら自分は自己価値を剪定している。その幼駒の様を眺めながら自分は足を抱える。
下手な剪定は枝葉を不格好に仕上げてしまっており、庭師の自分は口に含む雨を転がしながら乱暴に頭を掻き毒づいた。そもそも期待しないでくれと。外の価値を剪定しても、内側の木は手入れされず根腐れ気味で伸び放題だ。木に飲まれつつあるブラックボックスはノイズの酷いぶつ切りツギハギの音声を流し続けている。その前で蹲る自分は体を震わせる。啼いて血を吐く。
外と内なる。自分は恨めしそうに僕を見る。当然のことだった。恨まれるも憎まれるも仕方ないほどのことをしたと思う。そう思われることに安心する僕が居る。許されているようにしている時の不確かな足元よりも、余程不安がないからだろう。つくづく生ぬるい。
罵倒は安心する。殴られるのも蹴られるのも。それをされるだけの価値があるような気がしてしまう。だから木の向こうを見るのを躊躇う。あの木の向こうの自分は僕を赦すから。どう扱うも扱われるも僕の自己愛と自由の名の下にある。
泣く僕は子供のままだ。怨嗟の逃げ道を焼き落とすまで。
愛、哀、Eye、I、己を叫ぶ。絶叫する。あいを見るなら己をも。
モンシロチョウ、紋白蝶、もんしろてふ、学名pieris rapae。Artogeia rapae crucivoraだったりもする。卵はキャベツにつけるし幼虫はキャベツを食うので英語ではcabbage butterfly、あるいはsmall cabbage whiteなどと。
ピエリスはギリシアの知的活動を司る神々ムーサ(ミューズ)の別名、または別個の神らしい。よくわからない。クラクラとする頭でぼんやりと周りを飛び回る紋白蝶を認識する。
少し指を差し出せば待つこともなく蝶が留まる。時折去来する空腹を誤魔化すために留まった蝶を口に含む。鱗粉が呼吸器を満たし眼球を突き刺す。ここには何も無い。
自分の下にあるハッチの向こうは溝と油と血の溜まり。掠って出てくるのは自分の骨だ。底は堆積物で見えず、堆積した泥だか糞だかはそこそこの高さかもしれない。
輝き舞い散る鱗粉が僕の眼球を突き刺す。下の溜まりは顔を突っ込むと僕が叫ぶ。脳が焼き切れる。これは推して参るか退却か。策は思いつかない。骨も僕なら飛び回る蝶も僕だ。
何も見たくなかったからハッチを付け、ここを何も無いものにした。ここには蝶の留まる花も作物もない。そうなるべきだったものを僕は骨にして沈めたから。復元した僕の経過観察をする。