素晴らしい朝が訪れたようだ。新聞配達バイクのエンジン音、顔に射す太陽光線の温度、なにより朝だよと私を起こす母の声。その全てが私に朝を伝える。おはようの代わりにコケコッコーと叫んでみた。返事はなかった。だからという訳ではないけどそれから程無く二度寝した。次に聞いたのは案の定怒鳴り声だった。体を起こして寝室から出て、しっかり手すりに掴まって階段を降りた。
「朝ごはんは昨日のカレーよ」
たしかにいい匂いがする。わくわくと椅子に座ったときについた右手がスプーンを落としてしまった。床が畳だから金属音はしなかった。母は匙を静かに拾い上げてこう尋ねた。
「やっぱりチキンカレーが食べたい?」
私はチキンカレーが大好きだったけど、別に。って答えた。
とりとめがない話
とりとめもない話
部屋に片隅があるとき、必ず対の片隅も存在している。探してみて。見回して探してみると、他の片隅を見つけるかもしれない。もう一片隅を見つけたらその対の片隅も同様に存在していることだろう。次は上を見上げてほしい。上にも隅がある。例えば部屋を立方体として考えたら、その内部から見て八つの隅が発生している。それらはもれなく、辺という点の集合によって連結されている。ねじれの位置にある片隅同士もある。片隅は他の片隅が好きだ。みんな引き寄せあって、毎日部屋が1mmずつ狭くなる。
僕らもいつも片隅にいる。点のような一日一日を大事に過ごして他の片隅と繋がるために生きている。交わらない奴もいる。交わる奴もいる。困ったときは片隅を見上げて希望を持つ。この文章を僕はいま片隅で打ってる。僕の片隅は……他より少し翳っている気がする。
光 闇
泣いた鳥
俺はお前を助けるぞ
諦めろ 諦めろ
できっこない 時間の無駄だ
この世界では光も闇も変わらない
泣いた鳥が居る
それだけ
やってみなくちゃ分からない
光と闇の狭間で
きれいごとを宣うお前は誰なんだ
いつも俺を苦しめるお前は
誰なんだ
本当に悲しい時の情景描写は土砂降りではなく快晴だ。心が痛むとき雨はそっと寄り添いその腐敗を止めてくれる。対して太陽は広い空の中でただ一人威張っている。元気を出せと上から宣う。それが憎らしい。あえて話し言葉を使い端的に述べるとすれば、うざい。甚だうざい。
うざいうざいうざいうざいうざいうざいうざいうざい。いやいや実際は非常に愉快なんだ。遺書というのは最も純粋なエッセイなのかもしれない。ところである信教では人間は死ぬと御天道様の上に昇ってゆくらしい。太陽の下で泣き、死してその弾圧を浴びることは無くなる。太陽を見下す。今こそ問おう諸悪の根源太陽よ。貴様は一体何者なのだ?
彼(セーターという名前なのだけれど)はひどく寂しがりだ。暑いなあなんて思って脱ごうとするとパチパチパチ。電気の力で私を離そうとしない。下ろした髪がボサボサになるし何よりピリッってしてさ痛いんだよ。気づいてるのかな。私がいないとどうしようもない自分の情けなさとか。気づいてないんでしょうね。いつも私のことしか考えてない。まるでストーカーのようよ。セーター。
そうは言っても外は寒いから出掛けるときは必ず彼を着てかなきゃいけない。パチパチパチ。ああ。また私に張りついてきた。しつこいなあ。それでもセーターを着なきゃ。外は寒い。襟に首を通して右手左手。パチパチ。まただ。ねえ。一体何回言わせるつもり。それでも着ている。温もりからは逃げられない。パチパチ。また。パチ。ねえ。パチ。ねえ。ねえ!もうやめてよ!
どれくらい経っただろうか。部屋から一切の音は無くなっていた。鼓膜が破れてしまったかと思った。遠くから救急車のサイレンが聞こえてそうではないことを知る。彼は無機質に佇んでいた。私の胴体を包み込んだまま。ほんとうに寂しがりなのはどっちなんでしょうね。まったく。あらい(愛らしいの略なのだけれど)繊維の目を弄くったまま私は生まれて初めて涙を流す。もう時間だ。はやく出掛けないと。外は寒い。風邪をひかないように気を付けよう。