3
「なあ、たまには非日常感を味わおうぜ」
男がそう言って出してきたのはアロマキャンドルであった。
俺は思わず目を疑う。
「…誰かを襲撃でもするつもりか?」
「馬鹿野郎、誰が投擲武器にするっつったよ。敵に良い香り届けてどうすんだよ。ローソクだけに燃え盛るような落花流水のムードを物理的にもお裾分けってか?やかましいわ」
一人でそう捲し立てながら男はキャンドルをサイドテーブルに置いた。
キャンドルはとても精巧で美しいものであった。
透明な蝋の中に星座や月を模した金細工の装飾が施されており、まるで銀河を覗き込んでいるかのような錯覚に陥る。
こんな繊細で美しいものを所有していたとはーーー
俺はまじまじと、目の前に立つ男を仰ぎ見た。
一言で言えば、デカい。自分もそこそこ背は高い方ではあると思うのだが、この男と並んでいると自分が小さく感じてしまう。
「……同僚から貰ったんだよ。どっかにイルミネーション見てきた土産だとか言ってな……」
男は肩ほどまで伸ばした黒髪を掻き上げながら歯切れ悪く言った。
普段は自信が擬人化したようなタイプのこの男がこうして戸惑っているのを見るのは少し気分が良い。
「………そういう事にしておいてやろう」
俺がそう言うと、男はうるせーよ、と悪態をつきながらも気まずそうに目線を横に逸らした。
「ーーー俺たち大人っつうのは」
男は隣に腰掛けながら口を開く。
「どうしても日々忙しくて自分を労うって事がねぇだろ?特にお前も俺も、最近までかなり忙しく生きてた身だ。…けど」
男は俺の顔を覗きこむ。煤竹色の深い瞳が俺を捉えた。
「まあ、今だったら少しばかり日常にちょっとばかしの贅沢を取り入れても良いんじゃねえかなって思ってな」
男はそう言うとニカっと笑った。
「……らしくない事を」
俺が目を逸らしながらそう言うと男は大声で笑い、キャンドルを手に取る。
「ところで……火ィ付けるのガスコンロで良いよな?」
肝心なところで風情の欠片も無い男である。
2
実家が、無くなっていたのである。
いや、厳密に言うと故郷自体が消失してしまっていた。
大学入学と共に実家を出、そこから早十年。休みなどほぼ無く、文字通り身を粉にして働いた。時折脳裏に父や母、兄姉の姿がよぎる事はあったが、それらは瞬時に片付けねばならぬタスクの山に埋もれていった。
そこから縁あって今の仕事に就いたが、この仕事は忙しい時は本当に忙しい反面、何もない時は本当に暇である。
そんな暇な時間の最中、そういえば暫く実家に帰っていないなと思い立ち、久方ぶりに帰ってみるかと思ってみればこのざまである。
そういえば兄か姉が電話で、故郷の都市開発が進むから実家を売り払うとか何とか言っていたような気もしたが、全くと言っていいほど詳細は覚えていない。
長閑なド田舎であった故郷は人通りのそこそこある中途半端な片田舎へと進化を遂げ、実家のあった場所はカラフルな看板が眩しいコンビニへと姿を変えていた。
「お前の家で一番くじ引いてきたぜ」
自動ドアが開くとともに出てきた男はそう言いながら30センチはあろうかと思われるぬいぐるみをこちらへ見せた。
全身を黒で纏めたガタイの良い大男が可愛らしいぬいぐるみを持っているのは違和感しかない。
「ーーー俺の家ではないのだが」
このコンビニのオーナーも土地の所有者も赤の他人である。
周りを見回したとて、確かに多少見知った住居はあるにはある。だがそもそも当時から、精々顔を合わせた折に軽く挨拶するのみの間柄である。
小中高は実家から通った為一応同級生はどこかに存在はしている筈だが、連絡すら取り合っていない。
故にこの地は最早、俺にとって縁もゆかりも無いのである。
「ふーん、まあ…お前人付き合いとか根本的に好きじゃなさそうだもんな」
ほらこれやるから元気出せよ、と男は俺に向かって手に持っていたぬいぐるみを投げた。
「別に落ち込んでなどいない……が」
そう。落ち込む程の事など何もないのだ。
家は無くなったが、両親と兄姉は別のところで普通に元気に生活している筈だ。
まあ、引っ越した事自体忘れていたのだが。
ーーーだが。
俺はコンビニを見た。
かつてここに存在していた生家では、思えばたくさんの想い出があった、と思う。
けれどこの眩しい建物からは幼少期のそんな想い出は思い出せる筈もなく、懐かしさも微塵も感じない。
「ーーーまるで、想い出がこのコンビニに奪われたような気分だ」
俺はぽそりとそう呟いた。
自虐的な嗤いが思わず出てしまう。
まさかコンビニにこのような複雑な気持ちを抱く日が来るとは。
「…なあ、想い出っつうのはよ」
少し間をおいて、ふいに男が口を開いた。
「物や場所にも宿るが、たぶん一番は人に宿るんだと思うぜ。だから、お前のここで過ごした今までの想い出は無くなったんじゃなくてだな、お前の家族が全部持ってんだ」
だから安心しろよーーーそう言って男は笑った。
「それに…たくさんの想い出だったらこれからビックリするくらい培えるぜーーー俺と共にな!!!」
男はそう言うと、今度は高らかに笑った。
「全くーーー珍しくマトモな事を言ったと思えば」
俺は手に持ったぬいぐるみを見た。
よくよく見てみれば、こいつは俺が昔から好きだったキャラクターである。
ーーーこれもたくさんの想い出の一つって訳か。
日が落ちた薄暗闇の中、俺達はゆるりと駅へ向かって歩き始めた。
1
「いいか?冬になったら、なんて思わない事だ。冬になったらもう、何もかも手遅れなんだからな」
いつになく真面目な顔をして目の前の男はそう言い放った。
普段はのらりくらりと風の向くままに生きているような男である。
一体どういう風の吹き回しだろうか。
「…それはどういう」
「みなまで言うな」
男は俺の言葉を手で制した。
「よく聞け。冬本番になればどこの店に行っても、コタツはかなりの高値で売買される事になる。コタツだけじゃねえ、ストーブも湯たんぽも、ホッカイロですら消費者の足元を見て相当な値段を釣り上げてくるはずだ。
つまり、かなりの額の損失が見込まれる事になるーーーそうなればもう、俺達の壮大なる計画は終わりだ」
「壮大なるーーー計画…?」
「そうだ」
男は頷く。
「俺達の崇高かつ至高の計画ーーーそれは即ち!!某夢の国二泊三日の旅行(ヴァカンス)に行くことである!!!!!」
ーーー何…だと。
男の発言に、思わず俺は瞬いだ。
「…いや、そんな事今初めて聞いたが」
「良いんだ、分かってる」
男はそう言いながら俺の肩にポンと手を置く。
一体何をどう分かっているというのか。
「これから頑張って節約すりゃいい。今からコツコツ節約すりゃ、あと数ヶ月後にはそれなりの額が貯まっている筈だ」
計画的に生きてこうぜ、と最も計画性からかけ離れた男が言った。
「夢の国資金は二人で約50万。これからどんどん貯めて行こうぜーーーお前の貯金を!!!」
…ん?
俺の…貯金…?
ーーーという事はつまり。
(こいつ……自分の金は1円も出さないつもりだ…!!!)
頑張ろうなーーーそう言って男は太陽のような笑顔で俺の肩に腕を回す。
ーーーそういえば、俺はこいつの事が大嫌いだったーーー
殺意を覚える程の眩しい笑顔を凝視しながら、俺は改めてそう思った。
★夢の国二泊三日戦線、開幕ーーーーー!!!?
(続くかもしれません)
縁(えにし)千切られ はなればなれ
運命を断つ天の川 対岸で互いの名を呼んで
詞(ことば)契りて かさねがさね
宵闇を断つ月の光 星座を辿り想い織り交ぜ
引き合う糸は 離すなかれ
全ての命運は 互いの手の中
針を走らせ 全てを繋げて
子猫の鳴く声は夢の中
目覚めて現を知り 今朝も泣く
暖かな日差しは遥か彼方
死して朧の生を忌み 厳寒に沈む