微睡 空子

Open App

「なあ、たまには非日常感を味わおうぜ」


男がそう言って出してきたのはアロマキャンドルであった。
俺は思わず目を疑う。
「…誰かを襲撃でもするつもりか?」
「馬鹿野郎、誰が投擲武器にするっつったよ。敵に良い香り届けてどうすんだよ。ローソクだけに燃え盛るような落花流水のムードを物理的にもお裾分けってか?やかましいわ」
一人でそう捲し立てながら男はキャンドルをサイドテーブルに置いた。

キャンドルはとても精巧で美しいものであった。
透明な蝋の中に星座や月を模した金細工の装飾が施されており、まるで銀河を覗き込んでいるかのような錯覚に陥る。
こんな繊細で美しいものを所有していたとはーーー
俺はまじまじと、目の前に立つ男を仰ぎ見た。
一言で言えば、デカい。自分もそこそこ背は高い方ではあると思うのだが、この男と並んでいると自分が小さく感じてしまう。

「……同僚から貰ったんだよ。どっかにイルミネーション見てきた土産だとか言ってな……」
男は肩ほどまで伸ばした黒髪を掻き上げながら歯切れ悪く言った。
普段は自信が擬人化したようなタイプのこの男がこうして戸惑っているのを見るのは少し気分が良い。
「………そういう事にしておいてやろう」
俺がそう言うと、男はうるせーよ、と悪態をつきながらも気まずそうに目線を横に逸らした。


「ーーー俺たち大人っつうのは」
男は隣に腰掛けながら口を開く。
「どうしても日々忙しくて自分を労うって事がねぇだろ?特にお前も俺も、最近までかなり忙しく生きてた身だ。…けど」
男は俺の顔を覗きこむ。煤竹色の深い瞳が俺を捉えた。
「まあ、今だったら少しばかり日常にちょっとばかしの贅沢を取り入れても良いんじゃねえかなって思ってな」

男はそう言うとニカっと笑った。

「……らしくない事を」
俺が目を逸らしながらそう言うと男は大声で笑い、キャンドルを手に取る。


「ところで……火ィ付けるのガスコンロで良いよな?」


肝心なところで風情の欠片も無い男である。

11/19/2024, 3:47:53 PM