微睡 空子

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実家が、無くなっていたのである。


いや、厳密に言うと故郷自体が消失してしまっていた。
大学入学と共に実家を出、そこから早十年。休みなどほぼ無く、文字通り身を粉にして働いた。時折脳裏に父や母、兄姉の姿がよぎる事はあったが、それらは瞬時に片付けねばならぬタスクの山に埋もれていった。

そこから縁あって今の仕事に就いたが、この仕事は忙しい時は本当に忙しい反面、何もない時は本当に暇である。
そんな暇な時間の最中、そういえば暫く実家に帰っていないなと思い立ち、久方ぶりに帰ってみるかと思ってみればこのざまである。

そういえば兄か姉が電話で、故郷の都市開発が進むから実家を売り払うとか何とか言っていたような気もしたが、全くと言っていいほど詳細は覚えていない。

長閑なド田舎であった故郷は人通りのそこそこある中途半端な片田舎へと進化を遂げ、実家のあった場所はカラフルな看板が眩しいコンビニへと姿を変えていた。

「お前の家で一番くじ引いてきたぜ」

自動ドアが開くとともに出てきた男はそう言いながら30センチはあろうかと思われるぬいぐるみをこちらへ見せた。
全身を黒で纏めたガタイの良い大男が可愛らしいぬいぐるみを持っているのは違和感しかない。

「ーーー俺の家ではないのだが」

このコンビニのオーナーも土地の所有者も赤の他人である。
周りを見回したとて、確かに多少見知った住居はあるにはある。だがそもそも当時から、精々顔を合わせた折に軽く挨拶するのみの間柄である。
小中高は実家から通った為一応同級生はどこかに存在はしている筈だが、連絡すら取り合っていない。

故にこの地は最早、俺にとって縁もゆかりも無いのである。

「ふーん、まあ…お前人付き合いとか根本的に好きじゃなさそうだもんな」
ほらこれやるから元気出せよ、と男は俺に向かって手に持っていたぬいぐるみを投げた。

「別に落ち込んでなどいない……が」
そう。落ち込む程の事など何もないのだ。
家は無くなったが、両親と兄姉は別のところで普通に元気に生活している筈だ。
まあ、引っ越した事自体忘れていたのだが。

ーーーだが。

俺はコンビニを見た。
かつてここに存在していた生家では、思えばたくさんの想い出があった、と思う。
けれどこの眩しい建物からは幼少期のそんな想い出は思い出せる筈もなく、懐かしさも微塵も感じない。

「ーーーまるで、想い出がこのコンビニに奪われたような気分だ」

俺はぽそりとそう呟いた。
自虐的な嗤いが思わず出てしまう。

まさかコンビニにこのような複雑な気持ちを抱く日が来るとは。

「…なあ、想い出っつうのはよ」

少し間をおいて、ふいに男が口を開いた。

「物や場所にも宿るが、たぶん一番は人に宿るんだと思うぜ。だから、お前のここで過ごした今までの想い出は無くなったんじゃなくてだな、お前の家族が全部持ってんだ」

だから安心しろよーーーそう言って男は笑った。

「それに…たくさんの想い出だったらこれからビックリするくらい培えるぜーーー俺と共にな!!!」

男はそう言うと、今度は高らかに笑った。

「全くーーー珍しくマトモな事を言ったと思えば」

俺は手に持ったぬいぐるみを見た。
よくよく見てみれば、こいつは俺が昔から好きだったキャラクターである。

ーーーこれもたくさんの想い出の一つって訳か。

日が落ちた薄暗闇の中、俺達はゆるりと駅へ向かって歩き始めた。

11/18/2024, 4:24:09 PM