もっと暴いてみせて
もっと追い詰めてみせて
もっと剥ごうとしてみせて
無味無臭のトップノートに 鉄の香りのミドルノート
狂気と愛憎のラストノートを召し上がれ
美しすぎる調和(アコード)
積み上げられた総ては天国へ至る為に
一歩踏み違えれば死が蕩けだすこのスリルが堪らない
私を追う貴方達の視線が 私を更に狂わせる
さあ 今宵ももっと頂戴
もっと もっと
背負った鉛の翼は重く、
銀色の空には 遠く、まだ遠く
とこしえを吹く風に
全てを照らす太陽に
何処までも続く大地に
幽玄なる輝きの月に
眩く散らばる星雲に
其の全てに堕ちていけたら
今は只、
飛べない翼は錆びたその身で泡沫(うたかた)の夢を見る
夕時の風に涼しさを感じるようになると、外でふと見かけるススキの花に、未だ幼かった頃の記憶をぶわり、と思い起こさせる事がある。
其れは極めて断片的な記憶だ。
実家近くの河川敷、友人と共に、辺り一面に生い茂るススキの花を掻き分け歩いている。ただそれだけである。
その時感じた風の肌寒さと、ザーザーという川の鳴り止まぬ音。それらの得も言われぬ寂しさが、目も眩むような夕陽に照らされ黄金に染まるススキ畑の儚く幻想的な美しさと対比され、その一瞬だけが切り取られたフィルムのように、記憶の残渣として留まり続けている。
秋の黄昏の寂しさが、あの日幼いながらに感じた「嗚呼、この瞬間はもう二度と戻っては来ないのだな」という事実を、その後も何度も思い起こさせた。
瞬時に過ぎ去る秋の季節と人生の一瞬一瞬は似ている。
閃光の如く一瞬で過ぎ去り、儚い。
だからこそ其の時々は例えようもなく美しい、と秋風に揺れるススキの花を見る度思うのである。
脳裏という言葉がどういうものか、思いつくのは理性や思考の隙を縫って不意に現れる記憶や閃きといったところだろうか。
最近私の脳裏に浮かぶのは昔の様々な記憶である事が多い。それは良い記憶であったり何てこともない記憶である事もあるが、大抵が厭な記憶である。
いつかそういった記憶も懐かしい、という感覚だけになるだろうか。だとしたらそれは何年後、何十年後なのか。二十年近く経過した今でも未だ芯では許せていないのだから、もしかしたら一生許せないのではという気がする。
意味のない事というのは難しい。
何故なら全ての物事には必ず何らかしらの意味があるのだと思っているから。
過去には思い出すのも厭な事も多かったが、それらの出来事があったからその後の人生に於いて生き抜く力がついたとも言える。