ビードログラスの青を見つめて
ビードログラスの青を見つめていると、日常から離れてしまうような不思議な瞬間がある。
夕暮れの琥珀色とビードログラスの濃い青には魔法が宿っているのかもしれない。
脳内のどこかが共鳴してしまう。
家から電車で30分ほどで海が真正面に見えるカフェがある。
そこで夕暮れの海を見ながら水割りを飲む。
バックから小さなビードログラスを取り出してそれを眺めたり、夕暮れの海を見たり、約一時間、長居はしない。
暗くなりかけた頃、店を出て寄り道せずにそのまま電車で家に帰る。
車で海岸沿いを走るのも好きなのだが、水割りを飲みたいのでいつも電車で来る。
夕暮れの琥珀色とビードロの青を一杯の水割りで脳に取り込んでゆく。
深い青色のビードログラス越しに夕日の海を見る時手のひらに宇宙が舞い降りる。
至福の時だ。
裏切られたことは一度もない。
小さな体が、こんなに軽くなってしまった。
愛情を注いで育てたはなちゃんが、死んでしまった。
カゴの中で右の羽を広げてうつ伏せで死んでいた。
足が痛くて辛かったね。
もし人間の言葉が喋れたら、なんと言ってたのだろう。
羽を拭いて、お尻も拭いて、爪を切ってあげた。
何度も何度も小さな口ばしにキスをした。
いつもの暖かい口ばしではなかった。
冷たくなった口ばしに別れのキスが止められない。
君を庭に埋める時、本当に別れがきてしまったんだと悲しみがこみあげた。
君たち動物は死の意味を理解してたのだろうか?
嘆きや悲しみを人間のように感じていたのだろうか?
僕との別れを悲しんでくれたのかなあ。
今どこにいるのかなあ。
どこにもいないのかなあ。
真っ白な体に土を尻尾の方から丁寧にかけていった。
そして体の中心まで土をかぶせた。
最後の時が来た。顔に土を被せる時、可哀想で可哀想で仕方なかった。
もう死んでいるのに、土で息が苦しくなってしまうと思ってしまい、悲しくて苦しくて逃げ出したい気持ちだった。
雨が降ったらいやだろうな、土が泥になって気持ち悪いだろうなと考えてしまう。
痛い体で我慢して必死で僕のところに飛んできた姿が忘れられない。
古い心が新しい心に変わる時。
人間として恥ずかしいことだけを、恥ずかしいことにすると決めた。
カッコ悪いことは恥ずかしいことではない。
上手く出来きないことは恥ずかしいことではない。
自分だけ理解できなくても恥ずかしいことではない。
下に見られても恥ずかしいことではない。
出来ることを出来る範囲で自分のやり方でやっていく。
それ以外はかなぐり捨てる。
たまにやけになったり、ふて腐れたりしても、そんなことがあるのは正常な人間として当たり前のことだと考えることにする。
神はストレート勝ちを許さない。
負けのない人生は悪臭を放つ人間を作り出すからだ。
夢は叶えるためにあると言ってた人がいた。
同意しない!
絶対同意しない!
夢は叶えるためにあるんじゃない!!
夢は生きるためにあるんだと決めている!!
余命を生きる
私は死の間際に何を考え、何に思いをはせるだろうか?
何と恐れの多い人間だったのだろう。
もっと恐れずに自分が考えたように思い切って生きるべきだったと感じている。
何と弱い小さい人間なのか。
何と臆病だったのか。
何をそんなに恐れていたのだろう?
聖書には恐るなという言葉が365回も出てくるらしい。
しかし、今となってはすべては過去のことだ。
後悔している時間はない。
最後の仕事をやり終えて死にたい。
何をしておくべきなのか?
墓?
誰かとの別れの挨拶?
そんなことはもうどうでもいい。
この情けない心とボロボロのからだでやっておくべきことを行動に移してその後、死の門をくぐっていきたい。
最後に会いたい人など1人もいない。
生きた証など残したくもない。
自分の心に正直に向き合う最後のチャンスだ。
命が落ちて行く前に、やり終えたい。やり切ってみたい。
私の心臓の鼓動よ、時をわきまえてくれ。
小鳥が死んだ 。
はなちゃんという可愛い文鳥だった。
昨日の朝カゴの中で死んでいた。
よく懐いてくれてこころが通じ合っていた。
よくはなちゃんのおなかに唇をつけて、ちいさな生命の心臓の鼓動を感じていた。
はなちゃんとはもう会えない。
はなればなれになってしまった。
小鳥のような小さな命にも人間と同じような感情があることを教えてくれた。
今まで六年間一緒にいた。
もう会えないのは悲しいけれど、やがて僕も死んでゆく。