これで最後
これで最後、何回そう思っただろうか。呼び出しがある度に学校帰りに何度も寄ったあの汚部屋。物で溢れて足の踏み場も無いようなあの部屋に行くのは足取りは重かった。適当なつまみに気持ち程度のお酒と、飲めない私が飲んでるふりをできる唯一の甘い缶。映画を観ながら飲もうなんて、そのどちらも本当の目的ではないくせに、それに乗っかってしまう自分も自分だ。エンドロールが流れる頃にはきっと夢の中にいて最後まで見れた試しはない。それでもただ映画を見たい女を気取って部屋に訪れるのだ。こんな関係いつまで続くのか、続かせているのは自分で、いつか需要が無くなれば終わってしまう。それは寂しいなと思う。人前では泣かないけど一人で眠りにつく時にそう思ってしまうだろうな。薄ら感じる自分以外の影も、汚い部屋も、ジュースみたいなお酒に混じってくる度数の濃いお酒も、目を閉じると不思議と我慢できる。目の前の何かを諦めたような目をしているこの人と、私が重ね合わせているあの綺麗な人は違うのに。私を呼ぶ声も、私に対する気持ちも、くれる言葉も全てが違うのに、どことなく形の似ているその人を代わりにしてしまっている自分は最低だ。でもこれでいい。目の前の人も私そのものではなく適当な存在が欲しいだけで、代わりがいればそこまで。そんな気持ちの二人だからこそだらだらとここまで続いてしまっているのだった。次の日も1限だと言うのに眠りこけてしまった私は急いで昨日の夜に来た道を引き返していた。昨日と同じ道なのに反対方向から見たら全く違う道に感じる。どこか終わりのない迷路のような関係も一目散に引き返してしまえばいい。そう気づいた。
君の名前を呼んだ日
まだ読めない漢字ばかりで埋め尽くされた案内の板、色の少ない白と黒の異質な空間で、静かにしていなきゃいけないのに怖い音楽が耳に鳴り響いて、頼りにしたかった大人もみんな泣いてて。あぁ、それでも一番みんなから見やすい位置に置いてある写真はすごく笑顔だった。名前がひらがなだったから呼ぶことができたよ。おばあちゃんとしか呼んだことのなかった、君の名前を初めて呼んだ日。
やさしい雨音
雨はちょっと好きだ。お気に入りの傘がさせるから。雨は結構好きだ。人と一定の距離が取れるから。雨は好きだ。雨音が耳に優しいから。雨は大好きだ。一人が目立たないから。
歌
「お腹空いてる?今日くらいは全部奢ったるから。好きなん頼みや?」
「…や、今はいい。」
いつも行ってる飲み屋…ではなく今日は1軒目からカラオケに来た。まだ夕方にもならない昼過ぎに浜谷から電話がかかってきたのが30分前のこと。電話口では泣いてこそいなかったもののひどい鼻声で「別れた」と一言だけ聞かされた。電話を切ってすぐに合流したものの、まだ居酒屋が開くには早すぎる時間帯。目についたのは同期でよく来たカラオケ。
「…じゃあちょっと早いけど乾杯しよ。藤原もあとで来るから。」
独り言のようにそう呟いてとりあえずビールを二人分頼んだ。無言の重苦しい空気が流れる中、DAMチャンネルで知らないアーティストが得意げに話す声だけが響いていた。浜谷がこんなに落ち込むってことは多分「他に好きな人ができた」とかそういう感じでフラれたんやろう。まあそこらへんは藤原が来てから色々詳しく聞くことになるやろうから今はまだ当たり障りなく励ますしかない。
「…まあ、さ。女の人なんていっぱいいるんやし…あんたなんてモテるんやから。うん。そんな引きずらんでもいいって。」
「…うん……」
渾身の慰めにも目の前の大きい男はあんまり響いてない様子で少し俯き、そこからビールが運ばれてくるまでまた無言が続いた。特に気の利いたことも言えない私は、早く藤原が来るのを願いながら、グラスをカチンと合わせてそれを口に運んだ。お酒が入っても重苦しい空気は変わらないので私はバカなふりをして「よし、なんか歌う?」と言ってみたけど、案の定浜谷は首を横に振った。やっぱりそんな気分になれないよなと機械を机に置こうとしたところ、不意に目を真っ赤にした浜谷が口を開いた。
「…なんか歌って。」
「……あぁ。ええよ、何がいい?」
「……もう恋愛なんてしない〜♪」
もう何曲連続で歌っているか分からない。部屋に入る前にドリンクバーから麦茶を取ってきていた自分を褒めたい。デンモクを浜谷が握って離さないのだ。浜谷が好きな曲ばかりを入れ、自身はマイクを一切握らず私の声に耳を傾ける。それも全て失恋ソングで、一曲目のサビに入る前に浜谷が泣き出してしまったのはさすがに驚いた。歌うのをやめてマイクを置くと泣きながら怒ってくるから歌うしかなく、歌いながら肩をさすることしかできない。ああ、藤原よ。早く来てくれ。そう思いながら最後のロングトーンを歌い切った。
そっと包み込んで
そっと包み込んでシワにならないようにリボンをかける。うん、綺麗な花束の出来上がり。持ちやすいように紙袋に入れてお客様に仕上がりを確認してもらって手渡す。嬉しそうに微笑んでお礼を言いながら帰っていくお客さんを見守る。あの方は毎年奥さんの誕生日に花束を買っていくお客さんで、いつも嬉しそうにしてくれるからこっちまで嬉しい。結婚になんか興味ないけど、ああいうのはいいなと思う。一応人の子だし。さて、今日はもう予約もないしお客様が来ない限りは暇だ。春は卒業式とか、五月あたりは母の日、あとはクリスマスとかに人は増えるもののあとはまちまち。来店してくる人の数が片手で数え終わる日もあるのに、どうしてこの店はつぶれないのだろうか。叔父が店長だからすごく気が楽だしできるなら就職するまであるとありがたい。や、むしろ働きたくないしここに就職させてもらうっていうのもありかな。なんて考えながら包装紙を片付けていた頃だった。
「こんにちは。」
「こんにちは、川崎さん。今日はどうされたんですか。」
最近よく来るお客さん。髪が明るいからたぶん大学生。この人の空気感というか話している感じの雰囲気がなんか良くて仲良くなりたいと思ってるが未だ何か行動を起こすのが怖くてただの店員として接している。
「花束を作ってほしいんですけど…」
「はい、花束ですね。どういった用途ですか。」
「えっと、プレゼント用で…」
「プレゼントですね。どのような花束が良いですか。この花を使いたいとか、何かご要望などあればおっしゃってください。」
「あ、えーと…特にないです。」
「では、雰囲気を考えたいのでその人の写真とか、情報とかお聞かせ願いますか。」
「わかりました。あ、この人です。」
焦りながら携帯を取り出して探してくれた写真には、同い年ぐらいの異性が川崎さんの横で楽しそうにピースをしていた。いつも花束を作る時は「サークルの先輩に」とか、「母に」とか関係性を先に伝える川崎さんが、恥ずかしそうに写真を見せてきて、ああ恋人かと納得した。お作りいたしますのでお待ちくださいと笑顔を作って土台となる花を選ぶ。花束の準備は先ほどの人のが出てて残ってるし、雰囲気も見れたから花もある程度目星はつけた。人の外見に対してそういう感想は持つことは少ない方だが、川崎さんと同じように目がぱっちりしている綺麗な人だった。やっぱり美男美女の周りにはそういう人が集まるのだろう。こんなどのクラスにも三人はいるような印象が薄いぼやっとした顔とは大違い。花を触っているのにため息が出て、これはまずいと深呼吸をして台の上の花に向き直る…仲良くなりたいの先に恋人になりたいはあったのだろうか。自分にそんな薄ら寒い下心があったとしたら普通に気持ち悪い。何を考えていたんだろうか。もやもやする思考とは反対に綺麗に出来上がった花束を渡しにいく。
「こんな感じでいかがでしょうか。」
「わぁ、すごく良いです。いつもありがとうございます。」
「いえ、こちらこそいつもありがとうございます。」
嬉しそうに花束を抱きかかえるその人を見て幸せそうだと思う。あの奥さんに花束を毎年作ってるあの人と同じだ。もう大層なことは言わない。仲良くなんてならなくていいから、願わくば、川崎さんと写真の人が上手くいって毎年花束を作りにきてほしい。そう思った。