風景
久しぶりに訪れた美術館、なんてことはない風景画に足を止めた。家のテレビと同じぐらいの大きさのキャンバスに描かれた田園風景。綺麗すぎない風景は本当に写実的でどこか懐かしさを覚える。作者の名前は見たことも無かったし、今まで見てきた中に同じ名前は無かったのでまだ駆け出しの人なのだろうか。期間限定の特別展示だった展示目当てに来て、目的も済ませたので普通の展示を見ているがどうにも自分は美術に疎いらしい。ただ抽象的で雑な筆運びの作品ばかりに見えていまいち楽しめなかった。ただこの絵はすごく好きだ。さっきから他の人はこの絵を数秒見ては通り過ぎていき、よくわからない絵をほうほうと楽しそうに見ている。そういった通らしい感性は持っていないが、良いと思えるものがあって良かった。それだけでチケットの料金のもとはとれた気がする。
君と僕
二人だけの世界なら良いのにと何度願ったことだろうか。君は僕しか選べないし、僕以外を見ることも知ることもできない。僕はこの二人きりじゃない世界でも君じゃなきゃダメなのに、君はこの世界だと僕以外に目移りしすぎる。許せない。だから、君が僕だけを見てくれるように、今日も鬱陶しいほど君だけを見ている。
夢へ!
夢を見ている時間が日に日に長くなり、ついに目を覚ましている時間を超えた。夢は良い。いつも自分が中心で、現実なんかでは到底味わうことができない不思議な体験ができる。どうしても自分が納得いかない展開に陥った時は目を覚ましてしまえば強制的にその出来事を無かったことにできる。でもなんの面白味もない現実に戻るよりかは後味の悪い展開で抗おうとしているほうがまだマシだ。それに、寝る時間が増えるにつれてなんとなくコントロールの仕方というか夢を自分好みに動かす方法を理解できてきたからより居心地の良い夢を見るようになってきた。現実ではありえない大金で豪遊したり、誰もが認めるスーパースターになって街でもみくちゃにされたり、叶わなかったあの人に想いを伝えて成就させたり…今日は何を見るのだろう。どんな夢を堪能しようか。叶うのならずっと素敵な夢を見て、目を覚ますのをやめれますように。いざ、今日の夢へ!………なんて考えていたのに今日は夢を見なかった。ただ、心なしかすっきりとした目覚めだ。目を覚まして強制的にシャットアウトしたいような出来事ばかりのこの現実も抗おうと努力してみれば少しはコントロールできるだろうか。これも一種の夢だと気楽にやれば良さに気づけるかもしれない。十何時間ぶりに大きく伸びをしてベッドから降りた。
元気かな
「生まれ変わっても一緒にいよう」なんていう遠い約束をした彼は元気かな。生まれ変わって新しい人生を得てもう結婚をできる年齢まで生きたけど、彼らしき人は未だ現れない。もしかすると彼は前世の記憶を忘れているのかもしれない。自分だけが覚えていて律儀に待っているだけかもしれない。それでも、あの垂れた優しい目、少し甲高い声、癖っ毛な彼を頭に描いては自然と頬が緩む。きっと今世は同じそれを持ち合わせて生まれてきてはいないだろうがそれでも良い。私のことを覚えていなかろうがそれで良い。ただ元気でさえいてくれれば良いのだ。元気でさえいれば、必ず見つけ出して私がその元へ走るから。
フラワー
駅から歩いて三分のところにある花屋の店員。その同年代らしき男性は白いカッターシャツを第一ボタンまで閉めていて、花屋のロゴが入った深緑のエプロンにはシワひとつない。一度、サークルの先輩の卒業祝いで花束を買いに行った時のこと。卒業シーズンだというのにお客さんがいない店内、じゃんけんで負けて花束の準備を全て担うことになったという嫌な事実、初めて行く店には心の準備がいる性格、入るには少し敷居が高そうな場所。全ての要素がこの店舗に入ることを拒否していたのに、いざ店の前に行くと話しかけやすそうな青年が迎えいれてくれた。
「どのような花束をお作りしましょうか。」
客が一人だったためなのかは分からないがすごく丁寧なカウンセリングと、彼の幼い顔には似つかない心地良い低音ボイス。慣れていない自分にも優しく提案してくれてお値段もお手頃だった。そこから事あるごとに通うことになった。家族の誕生日、母の日、父の日に飽き足らず、人の誕生日にはちょっとした花を贈ることで大学でのあだ名はすっかり「花屋」で定着した。花自体を気に入った訳でもなく、この花屋自体をすごく気に入った訳でもないが、彼に会いたいという気持ちが日に日に強まっていった。
「川崎さん、いらっしゃいませ。」
名前を覚えられて、優しい笑顔で迎えてくれるまでの関係性にはなったものの、それ以上の発展は特にない。売上には間違いなく貢献しているが、実際彼からはどう思われているのだろうか。ただ異常に花を頻繁に買っていく近寄りがたい客と思われているかもしれない。彼に近づくために通っているのに近寄りがたいと思われるのは不本意だ。しかし仕方のないことでもある。例えばここが花屋ではなくホストクラブなんかだったら、楽しくおしゃべりをすることも彼の人となりを聞くことも料金のうちに入るのだろうが、残念ながらここは花の料金しか支払わせてくれない。彼のことで知っていることといえば、名札に書いてある名字が"あずま"なこと、基本水曜と土日のみバイトで入っていることくらい。カウンターの奥にホワイトボードで書いてあるシフトをお会計の時に毎回こっそりチェックしているのでこれらは間違いない。今日もまたいつも通りの会話を交わして綺麗な秋海棠の苗木を買った。しかし、花を見繕っている間に小雨が降り始めてしまった。今日は雨が降る前に早く帰ると思って家を出たが、授業も終わりせっかくの水曜だし寄って帰ろうと考え直したばかりに傘を持って来るのを忘れた。
「川崎さん、傘お持ちでないんですか。」
「…え、あ…はい。忘れてしまって。」
「ちょっと待っていてくださいますか……良かったら、これ使ってください。」
「え、これ…」
「私物で悪いんですが、こんなので良ければ。」
差し出されたのは黒い大きい傘。戸惑っている間にも彼は言葉を続ける。
「前は貸す用の店の傘置いてたんですけど、花屋なんてみんなあんまり来ないからよく借りパクされちゃって店長が怒って傘廃止したんですよ。だからこれ、店長には内緒で。」
しっと口元に指を一本たてて彼はいたずらに笑った。初めて見たその表情と、いつもより多い会話に頭が混乱する。
「え、いや、え…でも私物ってことは…あ、あずまさんはこの後どうするんですか。」
「家近いんで大丈夫です。」
初めて呼んだあずまの名前に緊張してちょっと噛んでしまった。家が近いとかいう新しい彼の情報についていけない。脳の回転が停止しそうになりながら言葉を紡ぐ。
「…い、いいんですか?」
「はい。」
「…自分がこれ、借りパクしちゃうとか思わないんですか。」
「川崎さんなら大丈夫かなって。」
そう笑った彼を見て、この気持ちをやっと恋と認めた。