テーマ「特別な存在」
また、雨だ。休みの日に、たまに外出しようとすると雨が降る。学校は皆勤だけど、友達がいなくて休日はほぼ引きこもり。ちょっと外に出ようと思った時に限って雨が降るのは、俺が超ド級の雨男だからだ。
お前は雨男だな、と父親によくいじられてきた。本当に俺と出かけると雨が降るから、言われて当然。どこでも雨を降らしてしまうのが、始めは恥ずかしかったが、いつしか自分が「雨の神」になったようで誇らしかった。
学校で、一度も雨男といじられたことがない。俺のクラスは、体育の時によく雨が降る。遠足の日にも雨を降らした。下校で外に出るときも、俺が外に出たら降ってくる。だけど、俺は一度たりとも雨男といじられたことがない。俺の担任は、毎年雨男雨女といじられる。他の奴が雨男呼ばわりされていたこともある。雨男は俺なのに。
いじられるキャラじゃない、ってやつなのか。雨を降らすのは、俺の能力なのに。
9月、ヒナタという男が転校してきた。ヒナタは陽キャも陰キャも別け隔てなく絡んでくる、太陽みたいな男だった。無キャの俺にも絡んでくる。
「お前さ、髪ボサボサじゃん。てか、隠れイケメンじゃね?ちゃんと整えろよ。」
「…そうするわ。」
ヒナタのお陰で、ちょっと他のクラスメイトと喋ることも増えた。俺がぼそぼそ言ってたら、「実はお前、面白いこと言ってるよな。もっとデカい声で言えよ。」って。拾ってくれた。
ヒナタは俺にとって、特別な存在だ。ああ、ヒナタに「雨男」っていじられたい。ヒナタにいじられたら、俺は最強の雨男キャラになって、クラスの厄介者という名の人気者になれる。事あるごとに話題の中心に…!
でも。
ヒナタが来てから、全然雨が降らないんだな、これが。
テーマ「胸が高鳴る」
ちょっと高い桃缶を買った。
いわゆる黄桃缶のケミカルなカラシ色ではなく、自然な桃の色をしたイイやつだ。
牛乳を小鍋に注ぎ、火にかける。裏山のコジュケイが、ピーホッホ、ピーホッホと鳴きはじめた。コジュケイの鳴き声は爽やかだが、少々ひつこい。もう終いか、と思うとまたピーホッホ、もう終わっただろう、あピーホッホ。思わずふっと笑った時、鍋に細かな泡が立つ。三温糖を入れる。
寒天を溶かす。ゴンベラで溶かせばよいものを、味噌汁を作るときの癖で、つい菜箸を手に取ってしまう。間違えたと気付いたが、むきになって菜箸で溶かしてみる。コジュケイと私は、どちらがひつこいか。まだ鳴き続けているコジュケイと、すぐに諦めかけている私を比べたら明らかだ。
ゴンベラで混ぜると泡の具合が変わってくる。桃缶を開ける。ジャッと溢れてくるシロップは、鍋に入れてしまえば良い。甘くなりすぎてはならないと、庭の小ぶりなレモンをカットして、果汁を搾って加える。もうひと煮立ちしたら、火を止める。窓から差し込んだ陽の光を帯びて、鍋の中が艶めいている。あとはプリンカップに流し込んで冷蔵庫で冷やし固め、上に桃の果肉を乗せるだけ。
フィリップ・K・ディックの『ユービック』を読みながら、完成を待つ。胸が高鳴る。コールドスリープから覚めた先に待つのは荒廃した未来だが、私に待つのは気持ちよく冷えた桃のブラン・マンジェである。
テーマ「月夜」
君は僕のことが好きなんだ
あの仄明るい君の眼差しは
僕に向けられたものに違いない
満月を取ってと泣く子ども
あ、月でうさぎが餅つきしている
いや、あれはハサミをふり上げた蟹だ
2700円で月の土地が買えるらしい
太陽に月が食われた
今度は月が太陽を食べた
月見バーガーうめぇ
誰のものでもない衛星に
人は身勝手に思いを寄せる
美しい輝きに魅せられて
そうせずにいられないのだ
誰のものかもわからない君に
僕は身勝手に思いを寄せる
美しい輝きに魅せられて
そうせずにいられないのだ
テーマ「ひなまつり」
初節句
父はあなたの
虜なり
桃の花言葉は 「私はあなたのとりこ」
テーマ「列車にのって」
『ナッツ・リターン』
友人の家に忘れ物をした。友人と行ったマルシェで買った、大袋の落花生を置いてきてしまった。
あまり駅の多くない、こぢんまりとした環状鉄道。さっさと降りて引き返せば良いものの、せっかくの悠悠とした気分を忙しないものにしたくなくて、そのまま乗り続けることにした。
「全然大丈夫だよ😅 いつ取りにきてもいいよ😄」と友人からLINEが来て、ますます腰が重くなる。列車が一周するまで、無為に車窓の景色を眺めて時が経つのを待つ。
ナッツ・リターン事件から10年が経つという。ほんの数年前に聞いたようなこの事件だが、最近ちらっと見たネットの記事では、前時代の大騒動かのように扱い、話題にされていた。十年一昔とは言うが、こうも10年とは早いものだろうか。
ナッツ・リターン事件がどんな騒動だったか、大まかにしか覚えていない。何となく、落花生を取りに戻る自分にこの出来事を重ねあわせてしまったが、この事件は飛行機を引き返させた事件だったような。
今日という日は、落花生を買って、取りに帰って終わってしまうが、それもまた良しか。こんな性格だから、時間を無駄にして、無為に年をとっていってしまう?
でも、10年をあっという間だと感じるのは幸せなことではないか。苦痛な10年だったら、早く感じることなんて無いだろう。
落花生を茹でる30分も、また楽しみだ。