『寂しくて』
寂しくて誰かの温もりを求めてしまう。
そんな自分が嫌で自身に罰を与え、自身に赦しを乞う。
人々はそんな私を見て邪険に思う。
タコだって、自分の腕を噛むことがある。
なのに、なんで私が噛んだらダメなのですか。
スマホの画面が光るたびに、誰かじゃないことに安堵し、誰もいない小さな部屋に1人、ため息を着く。
タコが墨を吐いて逃げるように、私は言葉で逃げる。
その度に苦しくて、胃がぐるぐるして、頭がおかしくなりそうになる。
喉が閉まり、呼吸がしずらくなり、どれだけ手を伸ばしても触れられない。
次の日、会社へ行くと、私の好きだったプリンが置かれていた。
“せーんぱい、お疲れさまです!
このプリン、私が作ったんです。
先輩最近追い詰めてませんか?甘いものでも食べて、少しでも気を休めてもらえたらなーって。よかったら食べてください。“
私はくすりと笑った。
──あぁ、いつぶりに、わらっただろうか。
ハッとして、振り返ると、あの小さな後輩がいたずらっ子な顔をし、小さく手を振っていた。
『心の境界線』
「ごめんね。」
彼女は困った風に眉を下げ、じっと彼を見た。
彼女は誰とでもすぐに仲良くなり、打ち解け、心を開いているように見せるのが上手だ。
本音の建前で表情を誤魔化し、彼女はいつの間にか目の前から消える。
私たちの心を無意識に掻き乱し、まるで翻弄しているかのように弄び、そして、ぐちゃぐちゃになった私たちに手を差し伸べ、何も知らない彼女は微笑む。
彼女の優しさは盾と矛だ。
甘くて苦しい蜜のようで、こちらから距離を取れば彼女は何食わぬ顔でそばを離れる。
慌てて彼女を引き止めれば、顔だけ振り返り、彼女は常に前へ進んでいく。
一度、手を離してしまえば、止まることはあったとしても、私の横に来ることはもう二度とない。
でも、彼女は私たちに、「好き」と言う。
『透明な羽根』
僕が泣いていたのは、風のない午後だった。
空は晴れていたけれど、僕の中には雨が降っていた。
何もかもが重くて、何もかもが遠くて、
それでも君は、黙って僕の隣に座った。
誰にも気づかれない僕を、君だけが知っていた。
僕の背中に触れている君の手は、涙で濡れた羽根を、そっと包むような温もりだった。
「行こう」
君は僕の手を引いた。
笑っていた。
その笑顔は、まるで空の色みたいだった。
君の透明な羽根はもう、ボロボロで、傷だらけだった。
もう二度と飛べないと、君は言った。
それでも君は、僕の前を歩いた。
風を切って、光の中へと進んでいった。
そして、君は舞い上がった。
誰よりも高く、誰よりも美しく。
陽の光はもう応えてくれない。
僕は立ち尽くした。
君の軌跡だけが、空に残っていた。
僕の羽根はまだ濡れていたけれども、まだ、君の温もりが微かに残っていた。
風が吹き、僕の羽根は微かに揺れた。
『時を止めて』
真っ暗な深海に沈む心は音もなく、ただ揺れていた。
ひとすじの光が水の粒を優しく染め、時は止まり
希望が、静かに息をした。
「光あれ」と。
ただ音もなく水を震わせ、誰かが泣く声が聞こえてくる。
天は初めて地を照らした。
それは、まだ、誰も知らない物語。
『行かないでと、願ったのに』
行かないでと、思わず言ってしまった。
悲しそうに眉を下げて笑うと何も言わずに私の頭を撫でた。
ごめんね、と何度も何度も繰り返し、そして、彼女の目には涙がみるみる溜まっていった。
涙声になりながらも何度も私の名前を呼び、抱きしめ、そして
その次の日、お姉ちゃんは死んだ。
お姉ちゃんの枕元には、お姉ちゃんの大好きなオルゴールが流れていて、お姉ちゃんは、笑っていた。
お母さんは嗚咽を漏らしながら、姉のやせ細った身体を抱きしめた。
お父さんもハンカチを目元に当て唇を噛み締めていた。
真っ白な手に真っ白な頬。
お姉ちゃんの弾くピアノは温かくて、優しくて、大好きだった。
「おねえちゃん、まだねてるの?」
私の手をぎゅっと握っている小さなその手は温かくて、そして、何も知らないその子はただ純粋に私を見つめた。
「……うん。ちょっと、ながいお休みをするみたい。
だから、おやすみなさい、いい夢見てねって、挨拶しようね」
「やだ!まだ、おはなしが、とちゅう、なの!!」
「……っ、ごめんね、私が、読むね……」
「やだ、ねーねじゃないと、やだ、やだよお、ねえね、おきてえ……」
普段滅多に泣かない弟もわんわん泣き、私はお姉ちゃんの手を握った。
もうその手は、二度と握り返してくれることはない。
私はもうすぐ、お姉ちゃんの歳を超える。
母親も父親も心の整理がかなり出来たようで、最近は笑うことが増えた。
弟は姉のことをあまり覚えてないからか、今も元気におもちゃの飛行機を振り回しては母親に怒られ、メソメソしている。
そんな時、小さなボロボロな猫が家の前に現れた。
ミー、ミー、と弱々しい声で鳴き、何かを必死に訴えかけているようだった。
真っ白な優しい毛並みはまるで、姉の──
そっとその白猫を抱きしめると子猫はミィと、小さく鳴き、すりすりと顔を埋めた。
『ただいま』
「……もう、二度とどこにも行かないで」
今度は、この願いが叶いますように──