「何もいらない」
何もいらないことはないよ。だけどね、欲しいものは沢山あったはずなのに、ほとんど忘れてしまったんだ。
「必要か必要じゃないか。欲しいけど今は保留」
そんなことばかりしてたら、欲しいものをパッと思いつけないことが増えちゃった。
たとえ思いついても欲しいものを実現する前に、欲しい理由を考えてしまってね。必要なかったらそのまま忘れてそれきりだ。まあ、もどかしいね。
だからね、自分は何もいらないとしか言い様がないんだよ。
創作 「もしも未来を見れるなら」
友人の家へ着くと彼女は、分厚い文献の頁をめくってはノートを録っていた。床には難しい内容が書き込まれたルーズリーフが沢山散らばっている。
「凄い、これ全部調べたの?」
一枚を拾い上げ、わたしは感心する。コピーされた写真や文章が張り付けてあり、その横に友人の補足情報が丁寧にまとめられているのだった。
「物語の創作は主人公たちの未来を見通す作業だからね、伏線にも説得力を持たせたいの」
わたしは未来を見ずともわかる。友人の創作への情熱は失せることはないと。そして、友人が書くものは必ず「おいしくなる」のだと。
(終)
「無色の世界」
墨の濃淡で描かれた水墨画。
白黒な絵と、台詞と擬音語で構成される漫画。
挿し絵の全くない小説や詩。
モノクロ写真、モノクロの映像。
奥深き、色彩の無い世界。
見る側に空想の余地を与えてくれる。
創作 「桜散る」
いなりさまのおつかいで、田畑の様子を視察していた新米きつねは、 とある老夫婦のもとを訪れた。
二人は水路に溜まった桜の花弁をさらい、田をおこす準備をせっせとおこなっている。おばあさんが作業の手を止めて、畦道に腰をおろした。そして、新米きつねと目が合う。
「おや、白ぎつね。珍しいわぁ」
おじいさんはおばあさんの視線の先をたどり、少し首を傾げた。だがすぐに、にこりと笑って田を耕す。
「今年の米は豊作でしょうなぁ」
おじいさんはそう言い、鍬を振るう手を止めて遠くに目をやる。桜の花弁が風に乗ってはらはらと舞い踊っている。
「そうでしょうねぇ。ありがたいですねぇ」
おばあさんは水筒のお茶を飲み、目を細める。
おじいさんが再び、新米きつねがいる辺りを振り返った。やはり、視線はずれていたが、おばあさんと過ごせる日々への感謝をささやいて、仕事に戻って行く。
「ふふ、嬉しいわぁ」
わたしにしかあなたは見えないのと、おばあさんは新米きつねにこっそり言い、田おこしに戻って行ったのだった。
(終)
創作 「夢見る心」
あれから嫌な夢ばかりみていると、詩人はこぼす。各国の王や大貴族の耳ばかりを悦ばせるのはうんざりだとも。寡黙な音楽家はギターを調律する手を止めて詩人の話を聞いていた。すると、詩人は、わずかに雲のかかる夜空を仰ぎながら続ける。
「夢を忘れてふんぞり返る奴らへのごますりなんて、俺の本望じゃないんだ!」
そして、ふん、と鼻を鳴らし、酒が揺らぐカップに目を落とす。しばらくの沈黙の後、苦し気に言葉を吐いた。
「しかし、皮肉なもんだが、俺らがこうして食うに困らず音楽の旅ができてるのは、奴らの財布から出たもののおかげなんだよな」
わずかに残った琥珀色の酒をあおった詩人は、乱暴にカップを置いて、テントに入っていく。 随分やさぐれた物言いだったと、音楽家は肩をすくめ、ギターの調律に専念する。ふと、音楽家の脳裏にとあるメロディーがよみがえった。調律したばかりのギターを抱え直して、弦を弾く。
粒のようだった音はみえない糸にとおされ、一纏まりの曲となった。素朴でわずかに光る、おもちゃのブレスレットのような音楽が辺りを穏やかに囲う。
詩人はテントの中で、音楽家のギターの呟きを聴いていた。二人がまだ子どもだった頃に夢中で作った曲のひとつ。やがて、その音色を枕に詩人は寝息をたてるのだった。
(終)