恵桜

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1/22/2025, 4:52:05 AM

『羅針盤』

今から20年も前に羅針盤を貰った。
「今時、羅針盤なんて使わないだろうが、これは普通の羅針盤じゃない。何せこの俺が渡すものだ。待ってろ、時が来たらこの羅針盤がお前を導くからよ」
こう言って、俺の一番の親友だからが渡してきた。羅針盤を見た時には、いらねえなと思った。航海に出る予定もない。日々を暮らす上で羅針盤が必要になる瞬間は来ない。
彼は少し変わってたが、意味の無いことはしなかった。だから、この羅針盤は俺をからかうためのものか、今後必要になるのかと思い、念の為机の引き出しに保管していた。
そんな羅針盤が光っているように見えた。
羅針盤に触ってもいないのに、羅針盤の針がひとりでに動く。NWSEをくるくるとまわり続ける。針は高速でまわり続け、針が止まったと思ったら、NWSEの文字はなくなっていた。
代わりに、俺の行き先が浮かび上がっていた。
羅針盤を持って俺は家を出た。

1/21/2025, 6:54:43 AM

『明日に向かって歩く、でも』

今俺たちは胴上げをしている。全国高等学校サッカー選手権大会県予選を勝ち上がり、全国への切符を勝ち取ったのだ。全くの無名高校が初めての全国を勝ち取った。その功労者を胴上げしているのだ。
始まりは新人教師だった。大学卒業後体育教師として働いている。そいつが新たなサッカー部の顧問となった。
俺が2年に上がった時だった。1年の県予選は、2回戦敗退。1回勝てたことに喜ぶようなチームだった。
そいつはチームを見てサッカーをする目的を聞いてきた。勝ちたいのか。ゆるゆるとやりたいのか。そう言われて「勝ちたい」と言えないほど俺たちは弱くなかったが、そのためにこれまでの苦しさと、この瞬間の喜びがある。
県大会優勝。胴上げされているのは、新人教師。イケメンで女子からの人気が高く、そいつを見たいがために女子生徒が数名観客席にいる。
ついに勝てた。この喜びを噛み締めて涙を流す。
胴上げが終わり、先生は言う。
「お前ら、喜ぶのはいいが程々にしろ。俺たちは勝つんだ。この先も負けないぞ!」
その言葉で俺は涙を止める。
この先生は、すごい。俺はもう満足していたのに、そいつは最初から全国優勝を狙っていたのだ。
明日からの練習が厳しくなるな。全国の猛者を超える想像とともに今日を終えた。

10/27/2024, 1:59:26 AM

愛なんて、言葉で容易に語れるものでは無い。
もしも、愛を言葉で容易に表出出来るのであれば、人間関係はもっと容易であろう。それこそ、「私はあなたを愛しています」などという言葉で愛を語れるのであれば、世の中の男女も家族も幸せだ。そうでは無いからこそ、人は他者の親切を心の奥で僅かに疑い、他者からの好意に別の何かを思案する。
だからこそ、私が愛する人には、全身全霊の言葉を無限の時をかけて紡ぎたいのだ。
発せられる私の言葉に、私は愛を込める。その言葉に意味はなくとも、その言葉に価値があることを信じて。

10/24/2024, 11:55:40 PM

--いかないで
---こないで

もう決めたんだ。誰が何を言おうと俺は行く。

---いくな
---くるな

あと一歩なんだ、あと一歩足を踏み入れるだけで未来は変わる。にも関わらず、現在は「いかないで」と訴え、未来は「こないで」と訴える。
俺は何度も未来を見た。同時に何度も過去に戻った。この世界の分岐点とも呼べる過去に。時渡りの能力でなにか世界を変えようと思っても、既に決定されている「現在」とその「現在」の先にある「未来」が俺を襲う。絶対に、この一歩を踏み出せば世界が良くなるのだとしても、世界の理がこの一歩を否定する。
能力には責任が伴う。その能力が強力であればあるほどに、その責任は重くなる。たとえタイムリープの能力を持とうと、同時に全てを背負う責任が無ければ宝の持ち腐れなのだ。

やるせない自嘲とともに、俺は能力を捨てた。

10/17/2024, 3:29:29 AM

何度か死後を妄想したことがある。死後と言うと、天国や地獄がどのようなものかと勘違いされるが、そこでいかに暮らすかではなく、死んだ直後どのように天国や地獄に運ばれるかというものについてだった。
それは妄想を超えるはるかに美しく、人類に希望を与えるものだった。私は特段良いことをしたつもりもなかったが、それでも大天使と形容するに相応しい美しい女性が、厳かに、やわらかい光と共に現れるその光景を見て、地獄に行くと思う者はいないだろう。
死というものは、生の終着点であるが故に恐怖される。ただ、死の後にこの光景があることを知っているならば、死も恐れずに済むのだろうが、それを生者に伝えるすべをもう持ち合わせていなかった。

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