片付けとは捨てることと見つけたり。
しかし、そこに立ちはだかるのは、数多のモノたちに付随するたくさんの想い出。
元々興味があるから手元に集まってきたモノだから、ついうっかり読み始めたり、まだ使えるかなと久々に起動してみたりで、一向に片付けにならない。
想い出と共にあるモノを、捨てることは本当に難しい。
【11/18お題:たくさんの想い出】
冬になったら悩まされるもの。
窓の結露。
今年も100均の結露吸着シートを買っておかなくちゃ。
…ということを。
このお題を見て思い出しました。
【11/17お題:冬になったら】
「はなればなれーの♪」
…などと、冗談めかして鼻歌を口ずさみつつ、真ん中あたりでぱっくりと背から外れてしまった文庫本の惨状を確認する。
本の修理は図書館ボランティアの仕事のひとつだ。
最近は無線綴じの本ばかりで、本そのものが壊れやすいというのもあるが、あまりに力強くページを開くと、そこからばっきり本が骨折してしまったかのように割れてしまったりする。
それを自分の本でやるなら良いが、図書館の本にそんな無体を働くのは誠にいただけない。次の借り手のことをまるで考えていない。
そもそも自分の本ではないのに、何故雨に濡らしたり、書き込みをしたり、ページを折ったり破ったり、挙句の果てには欲しいところを切り取ったりするのか。
そんなことをしでかす人との常識は、自分とは全く乖離したところにあり、理解不能であるし、理解したくもない。
とりあえず、目の前のこの文庫に関しては修理用の糊で上手にくっつけてしまえば、本棚に復帰できそうだ。
【お題:はなればなれ】
「猫派」と「犬派」で人間を仕分けするコンテンツをたまに見かける。
しかし、私はどちらか選べと言われたら「猫」を選択するが、断然「鳥派」と主張したい人間である。
もう随分昔にセキセイインコを飼っていた時のことだが、野良の黒い子猫に「待ってー!」とばかりに追いかけられて、足元にしがみつかれたことがある。
その子ときたらそれは目鼻立ちの整った美猫で、めちゃんこかわいい黒猫ちゃんであった。許されるなら連れ帰りたいくらいに。
しかし、ウチにはかわいいインコがいる。
猫にとって鳥は獲物である。
私にとって我が家のインコちゃんこそが家族なので、その黒い子猫の頭を数回撫でてやったのち、心を鬼にして野外に置き去りにした。
後悔はしていないが、今でも子猫といえばその黒猫のことを思い出す。
【お題:子猫】
「秋風」と聞いて。
頭の中に浮かんできたのが「物言えば唇寒し秋の風」という有名な芭蕉の句。
要するに、沈黙は金。
よし、今日は余計なことは書くまい。
【お題:秋風】