たった一つの希望、なんて難しい話だな。あれはああなってほしい、それはそうなってほしいって色々目移りしながらもなにかしらアクションし続けてることが生きてるってことだと思うので。
気になった全ての本、漫画、映画、ドラマ、アニメ、ゲーム、音楽といったいわゆる娯楽を、どの作品も分け隔てなく十分に味わい尽くしたいところなんだけども、時間は有限だ。目は労った方がいいと、最近特に痛感する。
死というものをまだよく理解していない頃に亡くなった祖父のことは、いなくなって寂しい、というよりも知らない遠くの街へ行ったままいつまでも帰ってこないなあ、という認識のままでいる。なんだか薄情な孫でごめんなさい。でも、もし故人と誰か一人話せるとしたら、今のところは真っ先にあなたの名前を出すと思う。自室でたくさんの本とクラシック音楽のCDに囲まれていた姿は小さい私にとってはちょっと取っつきにくかったのだけど、今の私にはそんなあなたに聞いてみたいことがたくさんあるのです。
くるみ割り人形のお話は、バレエ版よりホフマンが書いた原作の方が好きだ。おもちゃと言葉を交わしたのも、ネズミの王様を倒したのも夢オチなんかじゃない。主人公のマリーは家族から空想も甚だしい、もうその話をするなと言われても信じ続けた。彼女にとって、人形の国とは実在するものだったから。そして、とあるお姫様と違って容姿の醜いくるみ割り人形を心から愛した。
そしてどうなったか? そのハッピーエンドぶりは、夢と現実の区別は曖昧のままでもいい、無理やり覚めなくたっていいんだというメッセージでもあるように思えて、私はいつも勝手に勇気付けられているのだ。
電車内にて、向かい側に座っている人が本を読んでいた。カバーがかかってなかったから、何の本を読んでいるのかはすぐに分かった。サガンの「悲しみよこんにちは」だ。
ああ、昔読んだことがあるけれど細かい内容はほとんど忘れてしまったな。自分の境遇とはあまりに異なるので共感はあまりできなかったが、物語としては嫌いではなかった気がするのだけれど。今の自分が読んだら、どう感じるのだろうか。
ふと、その本を読んでいるのがどんな人なのか気になりそっと観察してみた。恐らく、大学生だと思われる青年。私が初めて読んだ時もそれぐらいの年頃だった。君は今、どの辺りを読んでいるのだろう。そもそも、どういうきっかけで手にしたのだろう。当然聞けやしないのだけど、仲間を見つけたような嬉しさが確かにあった。