乾涸びた心臓の音を象りしやまぬ雨には還る道なし
忘れられないのか、忘れ方を知らないのか――もしくは忘れたくないだけなのか。結局のところすべては同一の事象でしかないのかもしれないとも思う。なんにせよそこには記憶と呼ばれる残骸だけが残されていて、わたしの脳髄にはそのにおいが染みついてしまっている。それだけだった。部屋に染みついた煙の痕だとかが、待てど暮らせど魔法のようには消えやしないのと少しだけ似ている。それだけのことだったのだ。
目を閉じると浮かんできたのは
まず傲慢な表現だと思った。
エッセイ調のお題が続いているので私もそれに方向性を合わせることにするが、私は目を閉じればお話が浮かぶという表現がそもそもピンと来ない人種である。
何かを想像しようとして目を閉じたとき、そこにあるのは暗闇と、外界からの刺激として表出する光のきらめきが少しだけだ。先天的にこういった状態の人間は人口比で見ても少数ではあるのだが、いわゆる精神を『やった』状態などにおいてもそのような具合になったりもするだろう。
しかしおおよその場合、人間には視覚的な想像力があることが前提となって話が進んで行くわけで、この部分が欠けている生き物がいるだなんてそれこそ想像しない人々も多いのではないか。
流れる雲の想像を瞼の裏で何度かなえたいと思ったのかを、私はもう数えてすらいない。
お優しいことですね。それらは虚構ばかりをたっぷりと含んだ――俗に言うならば優しさと呼ばれる行為だったので、ひどくその言葉に安心した。嫌味ったらしいほどに優しく、すべてのひとに甲斐甲斐しく、そうやって名ばかりの善行を積んでいる。まるで賽の河原だったが、ひとつ理に反していることといえば私は鬼を待っていた。こうして私の邪悪で出来上がった石の塔を台無しにされるのを待っているのだ。
どうか優しくしないでください、その祈りのためだけに私はひとの邪悪を信じていた。