「ココロオドル」とノートに書いてみる。
こころ、と言っても、その漢字は色々ある。生にたくさんの読みがあるように──心、衷、胸、情、腑、意、腹。
昔の人は胸や腹の辺りで感情(こころ)を感じていたのかな、なんてWEBの漢字辞典を眺めながら思った。
まあこの単語は楽曲名だから、カタカナでカクカク跳ねていることに意味があるんだろう。
ココロオドル、見ているだけでなんだかわくわくするじゃないか。
──力を込めて息を吹き込んで。
頼りになるんだかならないんだかよく分からない先輩は、そんな風に言った。
実際、リコーダーを吹くような感覚でいると全く音は出ない。肺活量があって、ようやく「プヘェ~」という、気の抜けた音が出る。
息を続けて、唇でそれを楽器に伝えて、指で音階を整えて、管楽器は演奏される。
なので、先輩の「力を込めて」というアドバイスも間違ってはいない、はず。
なのでその力をつけるために走り込みに行く。吹奏楽はタフネスだ。
少しでもきれいな曲を演奏できるように。この三年間に何か残せるように。
過日を思う。
例えばもっと勉強していればとか、もっとスポーツに打ち込んでいればとか。
そんな過ぎ去った過去の、ありもしない未来を思う。それは大抵自分にとって都合が良くて、現実は儘ならない。
でも。
儘ならない現実を踏みしめながら、時に泥だらけになりながら、滑ったり転んだりしながら前へ進む。もし間違っていてもそれは教訓だ。
それが生きていくことではないか……と、二十代の終わりに、なんともクサいことをノートに書き出していた。
古代ギリシア人は、夜空というキャンバスに神話を描いた。
ベランダの手すりにもたれながら、ぼんやり指で星をなぞってみる。子どもの頃には、いくらでも自由に自分だけの星座を作れた気がしたのに、今は全然思い浮かばない。
オリオン座はどうのこうの、へびつかい座はどうのこうの。知識だけは増えた頭でっかち。
これが大人になったって事なのかな。
足下で枯れ葉が舞う。イヤホンから聞こえる「Shall we dance」のリズムに合わせてステップを踏んでみる。風がまるでエスコートするみたいにコートを翻した。
楽しくなって足はスキップになった。何でもないいつもの散歩道なのに、まるでダンスホールみたい。