可愛いあのこ。話したことは無い。
いつも僕が眺めているだけ。
外を眺めて、たまに小さな欠伸をして、またたまには本を読んで。そんな、誰とも関わろうとしない彼女を僕は目で追っていた。いつからだろうか。
話したい、触れたい、何度願ったことだろう。
今日は、僕の心を表したような雨模様だった。
今日も、話せず一日が終わる。傘を手に取り昇降口から出ようとすると、“彼女”が空を見てなにか悩んでいるようだった。ぱっと、僕の顔が明るくなった。傘を忘れたのかな、話しかけようかな。そう悩んでいる時、空はいきなり明るくなった。 天気雨のようだった。やっぱり、空は僕の心模様を表しているのだと思った。
相合傘の夢は消え、雨上がりの中昇降口から出ようとすると“彼女”が声を発した。
「相合傘、したかったね」
それが僕に発された言葉だと気づくには、そう時間はかからなかった。
恋が落下、すなわち朽ちる瞬間は何だろうか。
「四月になれば彼女は」という小説を読んだ。恋とはなにか考えさせられた。恋とは、「生きる」という行為をより実感するための一つであると書かれていた。人は、死が迫ることで生きていることを実感する。でも、それじゃあ人は死ぬ間際まで生きていることが実感できないのだ。なんとなく、虚しく意味の無い人生だと感じてしまう。そこで、恋は「死」以外に生きることを実感させるためのひとつの感情になる。
恋が落下するということは、生きるという行為を実感するための手段をひとつ捨てることになる。
生きている実感がないまま、ぼんやりとした生活を繰り返す。
未来の自分は何をしているのだろうか。
本を、読んでたらいいな
彼と、続いてたらいいな
文を、書いてたらいいな
なんて、きっと1年後にはこの願いも別のものに変わっていて。変わることで、いい方向に進むのだと信じようとしていて。
それでも、いつか踵を返して今の好きな物に帰ってくるのだろうと密かに期待を寄せる今の自分がいる
読書なんて国語の教科書だけでいい、
つまらないし、極力読みたくない
そんなことをボヤいていた一年前の自分が、
今の自分を見てどう思うのだろうか。
お小遣いを全て本に費やし、
学校の図書室には毎日通い、
月に10冊以上もの本を読む。
知恵の源が全て本になっている。
そんな私を見て、どう思うのだろうか。
[容疑者Xの献身]
よくあるミステリー小説だ。
そう思わせる小説だと思ったが、
本質はミステリーではなく恋愛の部分にあったのだと思う。人を愛し、人のために尽くすとはどういうことなのか、それを殺人を肩代わりすることで切なくも重たく書かれている。
この本の裏の部分に気づけて良かったと思う。
<好きな本>