南葉ろく

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9/4/2024, 7:25:20 AM

 ガタン、ガタン。電車の音。PM11時。電車内の乗車率は80%というところ。無機質な機械の音を聞きながら、不規則に体を揺さぶられる。足は肩幅まで開く。そうすれば、横の揺れは対処できる。縦に関しては、揺れを予測して、つま先か踵に力を。
 これはゲームだ。毎日の同じことの繰り返し、つまり日常。日常はつまらない。だからルールをつくる。ルールは簡単。揺れに体が傾いたら負け。どれだけ傾いたら負け、かは己の感覚によるものとする。つまり言語化は難しい。
 人生はあらゆるゲームの積み重ねだ。その気になれば、探せば五万と転がっている。コンセントさえ抜かなければ、わりと、そこそこ暇つぶしにはなる。
 今日もマイルール・ゲームをプレイする。なんだっていい。タイルの線に合わせて歩くとかでも。心に不味いごはんを与えるくらいなら、可も不可もないビスケットを、片手間に摘むのだ。





テーマ「些細なことでも」

9/3/2024, 9:10:49 AM




 手足に力が入らない。声も出せない。心はどうしようもなく打ち拉がれている。
 けれど、目だけは、見えている。空を睨む。疲れ果てた心で、それでも。まだ諦めたくないと、叫んでいるんだ。




テーマ「心の灯火」

9/1/2024, 11:35:42 AM

 液晶上部に緑色のアイコンが数件、並んでいる。我が物顔で鎮座するそれを消す気になれないまま、すでに三日が経ってしまった。三日間で、いくらかたまってしまった同じ顔したアイコンは、急かすようにこちらを見ている。
 通知を埋めたその人は、普段あまりメッセージを送ってこない相手。つまり、この通知は希少価値が高いのだ。……なんて。


「……あなたのことが好きです」


 言葉を投げ付けるように乱暴に思いを告げて、気付けば三日。返事は聞いていない。告げる時間を与えなかったのは何を隠そう、自分自身だ。あれから会ってもいない。避けているのも、何を隠そう、自分自身なのだから。
 この緑のアイコンをタップして、そうしたら、自分はどうなってしまうのだろう。開いたその先に答えがあるのかどうかはわからない。漠然とした恐怖に震えながら、心の片隅で期待に震える矮小な自分がいる。
 ああ、どうしようもなく吐き気がする。

 自分勝手なくせに半端に見返りを求める己の浅ましさを疎ましく思いながら、スマホは変わらず強く、手に握り締められた侭。
 今日も、LINEは開けそうにない。






テーマ「開けないLINE」

8/31/2024, 3:38:07 PM



いつだって届かないものに手を伸ばしている。
今日だってほら、やっぱり届かない。それでも。
昨日よりも1センチ、手を伸ばすことができたのなら。
今は、それで。


 テーマ「不完全な僕」

8/30/2024, 11:33:43 AM

 普段立ち入ることのないバー。眠れない夜に立ち寄ってみたそこで貴方と出逢った。お酒に詳しくない私がメニュー表を手に途方にくれていると、そっと傍にやってきて、柔らかく微笑んでくれた。
 見ない顔だね。ぼくはここの常連なんだ。よければ、ここのオススメのカクテルをきみにご馳走させてくれないか? だなんて。手慣れた様子。手慣れた仕草。ナンパかしら、なんて思いながらも、一人になるくらいなら、それでもいい、と彼の言葉に従った。
 隣に座った彼との距離は殊のほか近く、ふわり、清涼な香りが鼻腔を擽る。甘やかなウッディムスクの香り。密やかに微笑む彼にはよく似合う。
 どうやら作り終えたらしいソレを、バーテンダーから受け取り私は一気に飲み干す。度数など、どうだって良かった。きっと、どうにかなりたかった。けれど思いとは裏腹に喉を通るそれは生憎と私の喉を灼きはしない。驚きが顔に出ていただろうか。彼は静かな笑みをそっと崩した。クツクツと低い笑い声が耳朶を刺激する。夜の甘やかな森の香りと落ち着いた低い音が怖いほどに体のなかを巡るのを感じていた。
「強いお酒だと、思った? それはプッシー・キャットっていうノンアルコール・カクテルだよ。ちなみに意味は、『可愛い子猫ちゃん』だ。……甘くて美味しかっただろう? ……きみはどうにもこういった場所は不慣れに見える。お望みのものでなければ、申し訳ないが」
「……!」
 図星すぎて、咄嗟に言葉が出なかった。下戸ではないけれど、普段こんな場所に、それもこんな時間に来たりはしない。この空間に彼はあまりにも溶け込んでいるけれど、私はこの場では驚くほどに浮いているのだろう。きっと、だからこそ彼は声をかけた。
「いじめすぎかな。ごめんね。可愛い猫はいじめたくなるんだ。お詫びに、別のものをご馳走しようか? 酔いたいのなら、相応のモノを見繕おう。ぼくのオススメは――」
「お詫びなら、私の好きなカクテルを頼んでもいいかしら」
 なんだか悔しくなって、ジャブ代わりに、彼の言葉を遮ってみる。少し虚をつかれたように目を丸くさせた貴方は、面白そうに目を眇めてみせたあと、お望みのままに、と気障ったらしく微笑んでみせた。だから、私も精一杯の虚勢を張って、不敵に笑い返す。
「――スクリュー・ドライバーを」
 そうしてみせれば、今度は、彼が言葉を失う番。スクリュー・ドライバー。――カクテルに詳しくない私だって知っている、レディ・キラーの異名を持つカクテル。できるものなら、私を殺してみせて。そんな思いを込めて、彼の瞳を見つめる。
 しばし言葉を失った彼は、堪えきれないように笑い声を上げた後、くしゃり、と髪を掻き上げた。
「子猫扱いをして悪かったね。お望みとあらば――いくらでも」
 近いと思っていた距離が、また、近付く。ほんのり甘いと思っていた香りは、彼の眼差しから、露わになった額から、グラスを手渡す指先から――立ち昇るようにその甘さを増して、私を長い夜の森にいざなっていた。






テーマ「香水」

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