『終わらない物語』
――物語は終わらせねばならない。
そう云ったのは、誰であったか。知っているはずなのに思い出せない。わかっているのは、それは神の類いのものだったこと。耀く光。
「始めたばかりなのにもう、そのようなことを……」
畏れながら彼は申しあげた。
――ひとには見えぬ最果ては、吾には一夜の如きものだ。
神は淡々と告げてくる。
――物語は必ず終わる。始まれば何であろうと終わらねばならない。
そう、神とひとは、同じ時を共有しながらも違いすぎる。
彼はただ面を伏せた。
あれはいつのことだったのか。
滅びに瀕する世界を高みから眺めおろして彼は眼を閉ざす。大陸の最も高き塔の最上に風は強く吹き当たる。
物語は終わる。世界は滅ぶ。彼の使命もいまや果てようとしていた。
神は……そして神はどうなるのだろうか。
神は己れの生みだした世界の滅びを何処で見ているのか。滅びの宿命に縛られぬ神はいまこの終末を何処でそして如何に見ているのか。
彼は幾度も抱いたその問いをいまも口にした。
「主上。吾が神。吾が声をどうか……聴き給え」
返辞はなかった。
この数十年、彼は神の声を聞いたことがなかった。
かつてあれほど近くにあった神の気配を感じられなくなって既に数百年は経っていた。
神は……まさか世よりも早く滅びたのだろうか?
そんな不敬すら胸をよぎる。
「物語は始まれば終わる。世界もまた創られたならば壊される。いのちは生まれた以上死を免れない」
彼は歌うように口にする。それは神の教理だ。
「在るものは必ず……」
云いながら、彼は涙が零れ、頬を伝うのを知った。
そう。在るものは必ず喪われる。
それは理。
誰も逃れられない。この世界も、そして……。
この滅びゆく世界のために、彼は涙した。
とうに神を喪っていたこの世界のために。
物語は潰えようとしている。
終わらない物語などない。
そしてそれは喪われた神とひとが、ほかのいのち、いのちなき存在、すべてが、分かちあえる、救世だった。
※何か…プラトニックですが百合気味です。すみません…。
『やさしい嘘』
「嘘に、正しいとか優しいとか、あると思う?」
ロゼから不意に投げかけられた問い。
なかなかの難問だ。
「どうだろうね」
リリは首を傾げる。
「まあ……あるかも?」
それはロゼの望んだ答ではなかったのだろう。ロゼはわずかに口を尖らせた。
「どんな?」
「んー」
急にふられた問いだ。ぱぱっとシチュエーションが思いつかない。思考をフル回転させて、
「んんー……」
思いつかない。
「そうだなぁ、『太ったかも!』って云われて『そんなことないよー』とかそういうの? なら、優しい嘘かも?」
無理やり捻りだした。それもロゼのお気に召さない。
「それ、優しいかなぁ?」
「思いつかないよ、急に云われても……」
リリは困ったように首を振った。
「つまり、普通にはないってことだよね!」
「んー、んんー、そう決めつけるのもどうかなぁ……」
云いながらロゼの表情に気がついた。
「うん、まぁ、でも、そうかもね。ないのかも?」
得たりとロゼは笑った。
ロゼにはやっぱり笑顔が似合う。
大事なお友達。笑顔でいてほしい。
そんなロゼの笑みにリリもつられたように笑みをこぼした。
◆◆◆◆◆
正しい嘘。優しい嘘。
ほんとは、あると思っている。
そんな嘘をリリはいくらでもついている。
ロゼは大切な友達。それはそう。だけど、それ以上に自分はロゼを想っている。
だけど潔癖なロゼを困らせたくないから。
そう、きっとそれは隠さなきゃならない恋だから。
いつもついている、常習性の優しい嘘。
※すみません。若干BLです。というかBLです。
《天秤》と《災厄》が友人関係にある魔術師同士で、『彼』と本文中呼ばれているのは《災厄》のお手つきの子で《天秤》は彼に横恋慕しています(《災厄》はそれを承知しています)。
『瞳をとじて』
「眼をとじて」
僕の囁きに彼は疑いもなく従った。
朱色味の強い金のまつ毛がうすく影を落とす。
口づけるのは簡単だろう。――少なくとも、可能性、或いは条件としてなら。
彼は僕を信じきっている。
顔と顔の距離も存分に近い。
このまま、唇を重ねてもたぶん彼は赦してくれるだろう。戸惑うように、困ったように、僕を見て、それでもきっと糾弾しない。
その代わり、次からは彼は僕のこともまた警戒してしまうだろう……。
一時の欲望の達成と彼の信頼なら、選ぶものは決まっている。悩むまでもない。
仕方ない。
己れの怯懦にわずかな笑みがこみあげたが。
懐から出したものを彼の手に乗せた。
「眼をあけていいよ」
従順に彼は眼をあけると渡された一冊の書を見る。
「これは……」
「欲しがっていただろう? たまたま見かけたから」
もちろん嘘だ。近辺の書市では売り切れている。この一冊を手に入れるためにどれだけ街を巡ったか。
恩を着せるのは容易いが、それは本意ではない。
「ありがとうございます!」
嬉しそうに礼をいうその笑顔が何よりの報酬だった。
◆◆◆◆◆
と、いう顛末を見ていたのは、彼の主。
僕と同種の、つまりは魔術師である《災厄》だ。
「いやまぁ、何ていうか……清らかだな?」
「そうだね。たぶんね」
僕は悪びれず認めた。仕方ない、彼の信頼は何より尊い。僕の心のなかが如何に慾に塗れていようと。
《災厄》は何かを言いたそうにしている。言いたいことはわかっていた。だいたい、僕が全然清廉でないことはこの悪友なら知りすぎている。
「《天秤》、いいから手を出しちまえよ……さすがに」
「できないよ。君の二の舞はごめんだ」
《災厄》はばつが悪そうに一瞬天井を仰いだ。
「……少し、飲んでくか?」
露骨な話題の穂先そらしだったが、そこに若干は慰めが含まれていた。
「そうだね……少しいただこうかな」
彼に僕の罪や慾は見せたくない。決して。
だから彼に眼を閉ざすようにいうけれど。
本当に眼を閉ざしたいのは、たぶん僕自身だ。
「あんまり無理すんなよ」
《災厄》はグラスに琥珀の酒をついで差し出す。
「ありがとう……」
友とふたりで軽く乾杯を、した。
『あなたへの贈り物』
あなたに本を贈った。わたしの好きな、あなたもきっと好きになる、エンデの『果てしない物語』。もちろんハードカバー。あの物語にかけられた魔法はハードカバーでなきゃ。
あなたにお茶を贈る。みずみずしいダージリンのファーストフラッシュ。白一色のカップも一緒に。透かし彫りのちいさな花模様に透明釉薬がかけられている。お茶の色が光と混ざる、そんなカップ。
あなたとプラネタリウムに行く。街の夜空では見えない、望むべくもない満天の星空。あなたの星座が掲げられた天に流れ星が流れる。プログラムでしかない、そうかもしれない。だけどきっと、私たちが生まれてくるずっと前の地球が知っていた宇宙。
あなたに花束を、タロットカードも。誕生石にミュシャのポストカード。明るい色のシュシュ。ブルーブラックの万年筆…。
あなたに贈る、私の企みをあなたは知らない。
受け取るあなたが感謝とともに微笑む。
その微笑みが私への贈り物なんだよ。
『羅針盤』
陽のあたる出窓であなたは午睡する。
太陽は東から昇り、ゆるゆると南天低きを巡って西に沈むだろう。冬のやわらかな陽射しが白い毛並を撫でる。
私もあなたを撫でようかと、ソファから立ちあがって近づいた。
気配に聡いあなたが眼をうすくあけて、また閉じる。
その、それだけの仕種に、得がたい信頼があった。
毛並にふれた。
猫の体温が私の指を舐めた。
尻尾が、ぱた、と出窓の縁をはたいた。
そして私の手を撫でかえすように絡んでくる。
ちいさなこの生きものの、この親しさ。許容。信頼。
尻尾がまた振られる。
この白く長い尻尾は、間違いなく、猫を慈しむという感情へ私を導いた。
猫を、ちいさな生きものたちを、ほかの生命を、そしてきっとひとをも。
慈しむ。
愛おしむ。
そんな優しい世界へ私を導く羅針盤。