─今年も彼らの季節がやってきました。Ebroの石橋には、カゲロウの大群が群がり、まるでこの灼熱の地に季節外れの冬がやってきたようです。しかしこのカゲロウは……
型の古いテレビから、TVEのニュース番組が流れている。ただ客観的事実を伝えるだけであるのに少し情緒混じりの言葉作りは、なんとも感情豊かなこの国らしい。
「大変やなあ、お前んとこのあれ」
家主に委ねられるべきチャンネル決定権を握り締めたまま、ポルトガルはソファに組んだ足でリズムを取った。
「毎年のことや、もう慣れてもうたわ」
キッチンのダイニングテーブルで何やら本を読んでいたスペインは、ニュースもポルトガルの言葉もしっかり耳にはしていたらしい。本から目を離すことはなく答えた。
「あれ、駆除せえへんの?」
「んー、別に害虫やあらへんしなあ……それに知っとるか、アイツらむっちゃ寿命短いねんで」
スペインはやはり本から目を離さない。
「どれぐらい」
「1日も持たへん」
スペインの出してきた回答に、ポルトガルは目を大きく開いた。
「うわ、そら短いなあ」
自分が生まれて1日目は、果たして何をしていたのだろう。きっと生まれたばかりで、この世の全てに狼狽し泣き喚いていたのではなかろうか。生まれてから4桁の年月を生きてきた身では、もう全く覚えていない。カゲロウの刹那が、ポルトガルの胸にどしりと寄りかかった。
「せやろ?やからそのたった1日羽ばたかせてやれんっちゅーのは、寛容なスペインの名が廃るやん」
「……そうか?」
敬虔で保守的なスペインはいつのことやら、今のスペインは確かに種々の面で寛容な、ともすれば挑戦的とも言える決断を下すことが多々あるというのは、この縁だ、よく知っている。それにしてもその寛容は虫にも適用されるのだろうかと、ポルトガルは僅かに眉を顰めた。
「そうや。やからアレはな、うん、見守るしかないねん」
「見守る」
ポルトガルがスペインの言葉を反芻する。
「そう、見守るんや、見守る。俺らにはそれしかできへんもの」
そうやそうや、そうするしかないんや。スペインは自身の言葉を確かめるように繰り返すと、ゆっくりと本のページを捲った。
ルール
「うまそー」
椅子の背もたれを前にして座るポルトガルが、すう、とその匂いを堪能するように深く息を吸う。
「うわ、お前いつ来たん、びっくりした」
その意味と裏腹に平坦な調子で言いながら、スペインは手にしていた平皿を食卓の中心に置いた。黄色く歪なく丸いその姿は太陽を連想させる。スペインの作るトルティージャはほかの家庭のそれと比べても多く具材を盛り込むせいで、厚さは2cm以上になることも多々あった。ポルトガルが今日見たところでは、ちょうど2cmというところだろうか。
「なあー、ルール決めようや」
「ルール?なんの?」
ポルトガルはスペインが向かいに座ったのを確認すると、背もたれの障壁を越え身を乗り出して、トルティージャの乗った平皿を持ち上げる。スペインの視線はポルトガルによって宙に浮かされた平皿にあった。
「半分は俺ので、もう半分はお前のな」
「お前に食わすために作ったわけちゃうねんで?」
ポルトガルの言う"ルール"に、スペインは口元をひくつかせた。
「ええやんか、あの頃に比べたら、随分可愛ええ分けっこ、やろ?」
あれは痛快やったなあ、ちょうど境の土地はどうするんやーって散々揉めたよなあ、そう楽しそうに呟くポルトガルの姿はなんだか懐古主義の呆けた老人のようでもあって、この男相手に真っ当な文句をぶつけるのはなんだか馬鹿らしくも思えてきた。
スペインは後ろを向くと、キッチンに備え付けの引き出しからフォークを1本取り出す。それを遠慮なくポルトガル目掛けて投げつける。ポルトガルは投げられたフォークを僅かに慌てながらもどうにか掴んだ。
「ほい、食え。その代わり残したら許さんからな」
スペインの言葉に、ポルトガルはフォークを握ったまま笑う。
「ほな、いただきまあす」
ポルトガルのフォークが、トルティージャに突き刺さった。
薔薇の花弁の裏に潜んだ蜥蜴が、目に付いた生白い物体を敵視し喰らいつく。痛みに指を跳ね上げた少年は、柔らかい肌着から肩をはだけさせ、眉を顰め少し怖気付いた様子で蜥蜴を睨み付けている。
「良い絵だろう?」
その絵を矯めつ眇めつするアルフレッドに対して、フランシスは得意気に言った。
「カラヴァッジョ、だよね。レプリカかい?」
「ああ。ミラノ生まれの偉大な画家の、ね」
フランシスはそのキャンバスを躊躇なく3本の指先でなぞった。とうの昔に乾いた絵具は、フランシスの指になんの跡も残さない。
「どうしてこの絵を飾ろうと?」
「さあ。強いて言うなら、彼の表現する「愛」に、惚れたんだろうな」
「どういう意味かな」
アルフレッドは眼鏡の奥を僅かに光らせ、フランシスをひっそりと睨みつけた。
「アルフレッド、愛の寓意が何か知っているか」
「さあ」
「そうか、お前にはまだ早い問いだったかな」
フランシスは緩く笑みを浮かべて、再びキャンバスをなぞった。撫でられた薔薇の花は、やはり一片も表情を変えることなく、ただ冷たく佇んだままだった。
「フランシス、俺からもひとつ聞いていいかい」
「いいぜ、なんでもお兄さんに聞いてみなよ」
フランシスは両手を広げ、歓迎の意を示す。アルフレッドは両腕を組み、それじゃあ聞くけど、そう前置きして、今度はしっかりとフランシスを睨んで言った。
「どうしてこの少年を、金髪に変えてしまったんだい?」