食欲の化身

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9/16/2024, 10:49:16 AM

『君からのLINE』

スマホが震えて、通知が届いたことを知らせる。
電源ボタンを押すと目に飛び込んできた、「2件のメッセージ」の表示。
ロック画面を上にスワイプし、LINEを開く。
1番上に表示された君のトークルームを長押しする。

19時49分。
君から送られた 4文字と、スタンプ。

返信はせずに、スマホを閉じた。


動揺しているはずなのに、頭だけは酷く冷静で、どこか他人事のように冷蔵庫にローストビーフがあった事を思い出す。

君と食べるために奮発して買ったローストビーフ。
缶ビールと共に、1人で食べる。

パックを開ける。

ローストビーフの上に大根おろしを乗せて、その上からポン酢を少々。
ローストビーフで大根おろしを包んで口に運ぶ。
ローストビーフの肉々しさを大根おろしのさっぱりとした味わいが程よくかき消し、ポン酢の爽やかな風味が口いっぱいに広がる。幸せ。

君が教えてくれた、この食べ方。
君のおかげで、ローストビーフが好きになった。
君の好物だったから、ローストビーフが好きになった。

パックに書かれた表記を見て、2日前に賞味期限が切れていたことに気づく。
9月14日。君の誕生日。


トーク画面を開いて、文字を打ち込む。消す。
入力と削除を繰り返す。

今更 私が君に言える事なんてあるだろうか。息を吐く。
君のメッセージにリアクションスタンプを押して、トーク画面を閉じた。

7/29/2024, 1:02:44 PM

『お祭り』

夏祭りの境内は独特な熱気を孕んでいる。
祭囃子が響き渡り、何十人もの大人や子供の話し声や笑い声が飛び交う神社は、普段の厳かな雰囲気とは一転、大衆的な雰囲気に包まれる。

一見すると低俗とも言えるこの雰囲気が、私は嫌いでは無い。

年齢や性別、立場も違う、様々な人々が同じ空間で、同じ時間を過ごし、同じ感情を共有する。
普段は厳格な大人も、この日ばかりは羽目を外し、子供に交じってはしゃぎ回る。

踊口説が流れ始めると、男も女も、誰も彼もがリズムに合わせて手を叩き、踊り狂う。
その光景はある種の宗教的な何かを感じさせる。

その喧騒に引き寄せられるのは、人間だけではないのかもしれない。
お面を1枚隔てれば、人なのかそうでないのかの判断は曖昧になってくる。


人か魔物か夢現。
あそこに浮かぶは提灯か、人魂か。
私の前の此奴は人間か、それとも。

夏祭りの妖しげな雰囲気が、熱気が、私を惑わせる。

6/29/2024, 1:21:08 PM

『入道雲』

遮断機の降りる音が電車が通過することを知らせる。
普段は気にしないその音が、今日はやけに響いて聞こえた。

遮断棒の前で立ち止まる。
このままずっと立ち止まっていられたらいいのに、と思いながら手元の紙を見下ろす。


「進路希望調査票」


いつもなら簡単に読めるはずのその6文字が、今は別の言語にしか見えない。

電車が通過する。
それにより生じた風がスカートを揺らす。

電車は通過して、遮断機が上がる。

止まっていた全てのものが動き出したのに、私だけが立ち止まったままでいる。
不自然に立ち尽くしている私の横を手を繋いだ親子が怪訝そうな表情で通り過ぎていく。

もう帰らなくてはいけない。
ため息を一つ吐く。
足を進めようと顔を上げる。


思わず声が出た。

空に浮かぶ、大きな入道雲に目を奪われた。
自然の雄大さに圧倒される。

白い、大きなそれを見ているうちに、自分はなんて小さなことで悩んでいたんだろう、と思わず失笑する。

進学だろうが、就職だろうが、どちらでも良いではないか。本当に大切なものはその先にある。
どちらを選んだとしても、辿り着くまでの時間が変わるだけで、結果的には同じ場所に到着する。
結局は直接行くか、遠回りするかだけの違いなのだ。


肩の荷が降りたような、爽やかな気持ちになる。
その状態で、もう一度入道雲を見上げる。

重厚感のある、もくもくとしたその白さが今度はソフトクリームを思い出させた。

サクサクと香ばしいコーンの上に螺旋状に乗せられたアイス、食べた瞬間舌の上に広がる冷たさと優しい甘さ。
この暑さの中で食べるソフトクリームはいつもよりも格別に美味しいことだろう。

考えれば考えるほど、頭の中はソフトクリームでいっぱいになる。


今日は近所のコンビニに寄ってから帰ろう。

己の欲望の忠実さに苦笑しながらも、今度こそ前を向いて歩き出した。

6/29/2024, 5:07:04 AM

『夏』

ふと鉛筆を走らせる手を止めて外を見た。
縁側の向こうに見える田んぼの畦道を見知ったおじさんが自転車で通り抜けていく。
夕日が当たる田んぼにはいつの間に作業を終えたのか、誰もいなくなっていた。

冷蔵庫を開けて昨日から冷やしておいた2ℓのサイダーを取り出す。
ペットボトルのキャップを捻ると、パキッという心地よい音が鳴り、炭酸が抜ける。
食器棚からガラス製のコップを出して、その中に氷を入れる。
コップが充分に冷えたところでサイダーをそそぐ。
しゅわしゅわと音を立てながらコップが透明な液体で満たされていく。
一杯分のサイダーを注ぎ終えたところでペットボトルの蓋を閉め、冷蔵庫にしまう。

机に戻ってしばらく経つと、コップは汗をかき始める。
いくつもの小さな泡が下から上にのぼっていく。
涼しげなその光景を見ているだけで体温が数度下がった気がした。


キンキンに冷やされたサイダーは口に含むとぱちぱちと弾け、舌の上に軽い、爽やかな痛みをもたらした。
その痛みが癖になり、一口、もう一口とサイダーを飲む。
満杯にあったサイダーは、いつのまにか半分以下にまで減っていた。


扇風機の作動音、サイダーの泡の粒が弾ける音、氷が溶けてコップにぶつかる音、外から聞こえる蝉の声…。


様々な音に包まれながら再び鉛筆を走らせる。
溜まりに溜まった宿題は果たして今日中に終わるだろうか。若干焦りを感じて冷や汗が頬を伝う。

まるで嘲笑うかのように氷がカランと音を立てた。

5/23/2024, 10:57:59 AM

『また明日』

駅前に新しくケーキ屋がオープンしたらしい。
そんな話を聞いたのがつい先日。
ちょうど駅に予定があったしついでに、と軽い気持ちで寄ったのが間違いだった。

ショートケーキ、チョコケーキ、フルーツタルトにモンブラン…。
ショーケースの中には色とりどりのケーキやタルト達が所狭しと並んでいる。

種類豊富な店だとは聞いていたが、まさかここまでとは。
蛍光灯の光を受けてきらきらと輝くケーキ達はどれも美味しそうで、思わず唾を呑んだ。

ショートケーキは黄色いスポンジに生クリームがたっぷりと塗られていて、層の間にジャムが挟まれている。
ホイップの上にちょこんと乗ったイチゴが可愛らしい。

チョコケーキはチョコクリームがこれまた薄く塗られていて、その上からさらにココアパウダーがかけられている。ワンポイントの板チョコは、表面にシンプルな模様が描かれていて、それがまたチョコケーキの優雅さを倍増させている。

フルーツタルトは花の形に象られていて、イチゴにキウイ、マンゴー、ブルーベリーなど、名前通り様々なフルーツがふんだんに使われている。溢れんばかりに盛り付けられた瑞々しい果実達が私を誘惑する。

モンブランはサクサクとしたクッキーを生地とし、モンブランクリームが贅沢に絞られており、一つ一つのクリームの線が芸術的だ。一番上に乗った大きい栗が艶々でえも言われぬ高級感を醸し出している。

カスタードプリンも忘れてはいけない。
甘いクリーム色でその濃厚さを売りにしているプリンはぷるぷるとしていて、己のなめらかさを最大限にアピールしている。


さて、どれにしようか。
どのケーキ、タルト、プリンもそれぞれに魅力があってどれか一つに絞るのは難しい。
いっそのこと全て買ってしまおうか、と考えて自分はダイエット中だったと思い出す。


じっくりと観察しすぎたせいだろうか。
先ほどから定員さんの視線が痛い。
あまりにも長居しすぎたせいで、手ぶらで店を出るわけにいかなくなってきた。



ありがとうございました、という定員さんの声に見送られて店を出る。

結局、選びきれずに全部買ってしまった。
自分の優柔不断さに嫌気がさす。
長時間悩んだ挙句、最終的に全て買ってしまうのは自分の悪い癖である。
これだから今まで貯金が成功したことは一度もない。

それにしても、と右手に持ったケーキ屋の名前が入った白い箱を見る。
思った以上に買いすぎてしまった。
一つでもそれなりのカロリーがするというのに、4つも、加えてプリンも一つ入っている。
ただでさえ、最近体重が増えてしまっているというのに。


だけど。
せっかく買ったのだしやはり全部食べないと勿体無いしパティシエさんにも申し訳ない。
だから、私がこのケーキ達を食べるのは致し方のないことであり、しょうがないのだ。
決して、私がただ食べたいだけというわけではなく、きちんとした理由があるのだ。



だから、
ダイエットは、また明日。

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