痛みがなくなればもう少しマシな答えも出せただろう。などとこの期に及んで言い訳をしている。それでいい、それでいいとお前は私を抱きしめる。これが私の悲しみである。慈しみである。愛と呼び変えることが可能ならそれでいい。こうして何も掬わないのだから。私の言葉だよ。お前がいるなら私はもう充分だ。それでいい。この痛みに換えてまで、充ちなくてもいい。
見つめられるとその視線の強さに押し出されるようにして涙がこぼれる。そのままその大きな瞳もこぼれてしまえばよいのですとお前は言う。盲いてしまえば、その目が最後に見たものは俺ということになるので、などとほざく。いつか私があのトカレフで撃ち抜いたお前は、結局は私の前にまた現れて、なんやかやと理由をつけて近くに居座っている。つまり前世のお前が最期に見たものは私であり、「なので執着が消えぬのです」「復讐にきたのです」「あなたも同じ目に遭っていただきたく」などと続けて垂れる。目を奪われては同じ目に遭いようもない、と言った私の口答えは無視される。
お前は知らない。
あの日引き金を引いた私はお前の血潮に目が眩み、そのまま目を閉じ、お前のために痛んだ肩をあげ、己のこめかみに銃口を当てたことを。いつかの私が最期に目にしたものはお前である。私はそのことをお前に教えない。お前がこのこぼれる涙をぬぐってしまうから。復讐は繰り返される。そうして私たちは永遠に互いを慈しみあう。
この痛みをいなす方法。あの憎しみを永遠にする方法。吠える魂に餌をやる方法。ないがしろにされた君の前に立ち、護る方法。ないものねだりを続けている場合ではない。この身で、この不才の体で。粘れ、ただ粘れと。過去の私が望み続ける。
それにしてもこの絆は随分と太く厚く硬くほどくに手間が掛かるものだと、あなたは言う。ほどいて抜き取ってみればあの日あなたから抜け落ちた髪の毛だったりするし、あるいは彼女のお気に入りの服からほつれた糸だったりする。いつかあなたがた二人で作ったナポリタンの麺の一本だとか。そういったものが絡まり続けて、上手く逝けないのだと言う。彼女のか細い泣き声が聞こえてくる。その声は絶え間なく、解いたばかりの思い出の代わりに入りこむので、あなたは困って仕方がない。
たまにはこの腹が鳴るのをそのまま素直に聞いて、お前と目一杯に食い飲み歌い、隙間なく抱きしめ合い、愛とされる言葉を呟きあうなどしたい。終わりは近く、それすらできない距離にお前はいて、俺のなみだひとつ拭ってくれることはないのだが。