遠くの街が、すぐそこにある場合。
例えばあなたとか。
いつまでも分かり得ないことが救いであるとか、手品のように次々と私の知らない事柄が出てくるとか。あるいは私の既知が新たに書き換えられていくこととか。
そんなわけで今日も街の門前にいる。
いつまでも街の門前にいる。
座り心地のよいカウチでも持ちこんでみようかとさえこの頃は思う。
日除けのパラソルも欲しい。飲み物も、果物も、どうだろう。
遠くのあなたの笑顔がここからもよく見える。
不思議とあなたの声もここまで届き、通じてるかいないかはともかくさえずりあうことに不便はない。
入れない遠くの街へきっと明日も変わらず向かう。
この永遠とやらをどうにも愛している。
君は今、私の手を引き、「あの丘へ行こう」と言う。小さく、か細く、口遊むように続けられる取り止めもない話たちは、しかし決して弱くはなく、その丘までの確かな手引きとなっていく。小石ひとつ落ちていない侘しい道を歩いていく。あの丘、とやらがどういった様子なのか私には分からない。
私たちの十字架は、この脳髄にまで届きうるイバラの冠は。
「荊棘、と書く」
君は言う。
刑に処される、草の輪を頭に被る。
この脳髄にまで届く荊棘の冠は。
「この穴だらけの脳からこぼれる望みごと磔にしてくれる場所が、その丘?」
私の問いに君は笑って、わたしの荊棘の冠を持ち上げて、刺さった棘をひとつ抜き去って、その穴にキスを施す。
こんな小石も落ちていない道の先にある丘で、誰が私に石を投げつけてくれるというの。
旅路の果てに辿り着くには。この怒りを棄てさらなければならないか。この悲しみと和解しなければならないか。和するとは何か。棄てるとは何か。巡り巡って再び拾うしかなくなったあの日棄てた怒りが、均されず歪さが増された悲しみが。向き合い方がわからない。向き合い方がわからなくて今はただ抱きしめるしかない。そのくらいの停滞は許してくれ。果てなどなくていいと、辿り着けなくていいと、今はただこの身が痛いだけでいいと、私が私に赦させてくれ。
ずっとこのままでいるには何もかも足りず何もかも余りある。足しても引いても同じ状態でいるのは叶わない。現状維持はままならない。この瞬間の幸福や愉悦を体に刻み続けて、まばたきの先にも君がいることを乞い、願い、そして信じている。
君の愛のそのまた向こうに苛烈な光が滲んで見える。夜明けは時折こうしてやってきて私をひどく急かす。その光を何と呼べばいいかわからないまま空っぽの心を冷たい空気で満たす。君の愛で満たさないようにしている。いつか消化してこの身になっていくのをどうにも許せなさそうなので。この瞬間ここに立つ人間たちを照らすスポットライトのように、ただ目の前にあればいいと望んでいる。