この痛みをいなす方法。あの憎しみを永遠にする方法。吠える魂に餌をやる方法。ないがしろにされた君の前に立ち、護る方法。ないものねだりを続けている場合ではない。この身で、この不才の体で。粘れ、ただ粘れと。過去の私が望み続ける。
それにしてもこの絆は随分と太く厚く硬くほどくに手間が掛かるものだと、あなたは言う。ほどいて抜き取ってみればあの日あなたから抜け落ちた髪の毛だったりするし、あるいは彼女のお気に入りの服からほつれた糸だったりする。いつかあなたがた二人で作ったナポリタンの麺の一本だとか。そういったものが絡まり続けて、上手く逝けないのだと言う。彼女のか細い泣き声が聞こえてくる。その声は絶え間なく、解いたばかりの思い出の代わりに入りこむので、あなたは困って仕方がない。
たまにはこの腹が鳴るのをそのまま素直に聞いて、お前と目一杯に食い飲み歌い、隙間なく抱きしめ合い、愛とされる言葉を呟きあうなどしたい。終わりは近く、それすらできない距離にお前はいて、俺のなみだひとつ拭ってくれることはないのだが。
遠くの街が、すぐそこにある場合。
例えばあなたとか。
いつまでも分かり得ないことが救いであるとか、手品のように次々と私の知らない事柄が出てくるとか。あるいは私の既知が新たに書き換えられていくこととか。
そんなわけで今日も街の門前にいる。
いつまでも街の門前にいる。
座り心地のよいカウチでも持ちこんでみようかとさえこの頃は思う。
日除けのパラソルも欲しい。飲み物も、果物も、どうだろう。
遠くのあなたの笑顔がここからもよく見える。
不思議とあなたの声もここまで届き、通じてるかいないかはともかくさえずりあうことに不便はない。
入れない遠くの街へきっと明日も変わらず向かう。
この永遠とやらをどうにも愛している。
君は今、私の手を引き、「あの丘へ行こう」と言う。小さく、か細く、口遊むように続けられる取り止めもない話たちは、しかし決して弱くはなく、その丘までの確かな手引きとなっていく。小石ひとつ落ちていない侘しい道を歩いていく。あの丘、とやらがどういった様子なのか私には分からない。
私たちの十字架は、この脳髄にまで届きうるイバラの冠は。
「荊棘、と書く」
君は言う。
刑に処される、草の輪を頭に被る。
この脳髄にまで届く荊棘の冠は。
「この穴だらけの脳からこぼれる望みごと磔にしてくれる場所が、その丘?」
私の問いに君は笑って、わたしの荊棘の冠を持ち上げて、刺さった棘をひとつ抜き去って、その穴にキスを施す。
こんな小石も落ちていない道の先にある丘で、誰が私に石を投げつけてくれるというの。