旅路の果てに辿り着くには。この怒りを棄てさらなければならないか。この悲しみと和解しなければならないか。和するとは何か。棄てるとは何か。巡り巡って再び拾うしかなくなったあの日棄てた怒りが、均されず歪さが増された悲しみが。向き合い方がわからない。向き合い方がわからなくて今はただ抱きしめるしかない。そのくらいの停滞は許してくれ。果てなどなくていいと、辿り着けなくていいと、今はただこの身が痛いだけでいいと、私が私に赦させてくれ。
ずっとこのままでいるには何もかも足りず何もかも余りある。足しても引いても同じ状態でいるのは叶わない。現状維持はままならない。この瞬間の幸福や愉悦を体に刻み続けて、まばたきの先にも君がいることを乞い、願い、そして信じている。
君の愛のそのまた向こうに苛烈な光が滲んで見える。夜明けは時折こうしてやってきて私をひどく急かす。その光を何と呼べばいいかわからないまま空っぽの心を冷たい空気で満たす。君の愛で満たさないようにしている。いつか消化してこの身になっていくのをどうにも許せなさそうなので。この瞬間ここに立つ人間たちを照らすスポットライトのように、ただ目の前にあればいいと望んでいる。
書く習慣、始めて100日と少し経ちました。
面倒がりの自分が毎日欠かさず書き続けられるとは思わなかったです。ここで書いたものを種に他の創作に活かしています。
またいいねをいただくたびに、人が居るのだなと、その距離感に助かることも多いです。
押してくださったみなさまありがとうございます。
運営さま、素敵な場をありがとうございます。
来年もよろしくお願いいたします。
どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。
矢の如しだが光陰であったかというと少々陰が多いように思える。人には人の光陰があるので誰かから見ればこの陰も光になるかもしれない。誰かの普通に救われることもあれば私の普通が誰を救うこともあるのだろう。「ただ在るといふことが」と宣ったのは八木重吉である。ただあるということが。と何度も反芻した年であった。
以下は来年の私への戒めとする。
誰かの普通を盾にしないように。
誰かの悲しみや怒りを己の承認欲や都合や自分の表明の隠れ蓑にしないように。
パフォーマンスで消費しないように。
何についても当事者がいることを忘れないように。
書くのをやめないように。
ご飯を食べるように。
体力をつけるように。
その暴力と慈しみに報いるように。