いす

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11/24/2023, 3:43:00 AM

深くお辞儀をしたのである。それが最後に取るべき礼節かと思ったので。助走などつけずそのままその場で地を蹴ったのである。それはスプリングがそこそこ効いた板であったので。落ちていく間のことはわからない。君の顔を見たような気もする。それなら人生で初めて見た幽霊ということになり、人生さいごに見たものも幽霊ということになる。水面に叩きつけられる。骨は砕ける。内臓は破裂する。ようやくすべての正しさと間違いが消失する。

11/22/2023, 8:39:29 PM

恋や愛を根にして結んだ契約ではなかった。二週に一度落ち合って食事を共にする。定例会議である。家族、友達、会社、私たち以外の私たちについて、つまりほぼすべてについて、最低限の報告をする。今の時期なら、年末調整が、扶養はどうする、年始に互いの実家に顔を出すか、などになる。私は長らく休職をしていて、自分の貯金を食い潰しており、まあそういう話になる。私たちの家はレストランにあり、定食屋にあり、居酒屋にあり、バーにある。おかえりと言えば、ただいまが返る。おかえりと言われ、ただいまと返す。ポモドーロパスタを頼み、君も食べるか尋ね、トマトが嫌いなんだと教えられ、次の会議には忘れたりする。ごちそうさまを互いに挟んだのちに、行ってらっしゃいと言う。行ってきますと返る。行ってらっしゃいと言われ、行ってきますと返す。

11/21/2023, 11:19:32 AM

ここから先その小指のどちらかあるいは両方が、君と彼との約束を反故にして、月は宇宙の海に沈んで、その水面で跳ねた魚は二匹きりで、そんなことに意味を見出そうとして、途方に暮れるだろうか。どうすればいいの。暮れたほうがマシだろうか。どうすれば。裁いてくれ裁いてくれ裁いてくれ裁かないでくれラクにしないでくれ、そう君が乞うのは、君が彼と繋いだ小指を切らなかったから。反故も何も約束は元より不成立。かわいそうに。君は知らないでいる。彼の方を見ないから。彼は自分の小指を君に繋げたまま、自分の小指だけを根本から切り落とした。あの二匹の魚だけが君たちの不正を見ている。意味を、役割を与えてやるならそのくらいでいいだろう。すべてを背負わせてはいけないよ。宇宙を泳ぐ魚に、君に、彼に、その身を守る鱗はないのだから。

11/20/2023, 3:36:03 PM

俺の体で抱くにはあまりに小さな赤子であった。幼児であった。児童であった。俺は馬鹿なので学問的な教育は学校に丸投げた。俺に似て馬鹿ではあったがしかし同時に賢くもあったので、俺の使う言葉と外で使う言葉をお前はよくよく噛んで己のものにしていった。俺はどうにも強かったから、ここで生きていくには随分強かったから、お前も強くならざるを得なかっただろう。西洋の色に東洋の配置をした顔、馬鹿だが賢い頭、女としての肉体、そして俺に何よりも一番よく似た獣のような精神がお前を今後も苦しめるだろう。それが和らぐ世界に少しでも進むように、俺はこの場に留まることを選んだ。すべてではないが理由の一端ではある。そうと知れば、獣であり人間である友たちは皆笑うかもしれない。「天上を得たお前が住処を変えずに生きるとは」
道徳的な教育なども碌にしなかったが、望みに自覚的であるようにと常に言って聞かせた。お前の望みはなんであるか。お前の望みに対して、今のお前の力でどれだけの範囲を引き受けられるか。引き受けることによって壊されるものはあるか。失うそれらを引き受けられるか。お前は笑って見せる。獣の目で、怒りの目で、悲しみの目で、愉悦の目で、賢い目で、ただの子どもの目で、ただの愛の目で、あるいは愛ではないものの目で。声で。

11/20/2023, 5:51:44 AM

いのちの数を灯す。お前が吹き消す。祝福に紛れて死神の高笑いが聴こえる。年齢分吹き消される蝋燭の数、その寿命年数分、それから+一本分の蝋燭が与えられている。ただの一本を吹き消す権利はお前にはない。ただの一本はいまこの瞬間も灯りゆるく輝いている。燃えている。あのひかりをお前が見ることはない。わたしが見ているあのひかりがお前に届くことはない。「近くで見て良いか」と、死神に乞う。いま我々の足元を照らすひかりの元は誰かの蝋燭だろうか。どうもよく見えない。お前の蝋燭だけがはっきり見える。死神は笑う。「それがお前の願いか?」顔など見えないがはっきり笑っているのが私には分かる。あの日蝋燭を吹き消して笑ったお前の顔を思い出す。ハッピー、ハッピーバースデー。私の祝福の声など届かなくても結構。

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