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8/23/2024, 4:48:14 AM

 我が姉はよく、旦那さんがワイシャツの袖捲りを直さずに洗濯に出すことに憤慨している。洋服や靴下を裏返しのまま洗濯に出す人に憤る主婦というのは姉に限らず多いらしい。
 しかし、靴下を洗濯する際には裏返したまま洗った方がよいという説もあるらしい。中に埃やごみが溜まってしまうことを防ぐためとのこと。また、世の主婦の中には、裏返しのまま出された洗濯物はそのまま洗濯して畳み、着る前に本人が裏返さなければならないようにするという強者も存在するらしい。
 私はまだ他人の服を日常的に洗濯する生活をしたことはないが、今後もしそういった機会があるならば、洗ってやるんだから裏返すくらいはやってくれと思うかもしれない。

8/21/2024, 4:08:43 PM

 私はファーストペンギンにはなれない。失敗を恐れず未到の一歩を踏み出す人が世の中に必要だということは理解しているが、できればその役回りは避けたいと思う。如何なる時も先人が踏み固めた道を歩きたいし、ハイリターンよりもローリスクを選びたい。しかし、それがある種のコンプレックスでもある。物怖じせずに挑戦できる人に憧れて、そうでない自分にほんのちょっと嫌気がさす時もある。

 さて、実際のペンギンの生態からすると、ファーストペンギンというのは「自らハイリスクハイリターンを選ぶ勇気あるペンギン」ではないらしい。どのペンギンもみんな1匹目になりたくないがために氷の上で押し合いへし合いをし、足を滑らせた運の悪いペンギンが、殆ど落ちるような形で海に飛び込むそうだ。天敵に襲われるリスクを背負わされた貧乏くじのおっちょこちょいペンギン。しかし最初に海に飛び込む分、魚を捕まえられる確率は他のペンギンよりも高く、美味しいとこどりペンギンでもある。

 この、「不本意な役回りを被って結局美味しい思いをする現象」は人間界でもまま見られると思う。誰もやりたがらないクラスの仕事を押し付けられたけど、先生から内緒でお菓子がもらえたとか。嫌々引き受けた仕事で予想外に評価されて株が上がったとか。そう考えると、保守的な自分の性格もそこまで悲観しなくていいのかなと思えてくる。どんなに飛び込みたくなくても、飛び込まされることは往々にしてある。そのタイミングでしっかり美味しい思いができるよう、精一杯頑張ればいいだけのことなのだ。

8/21/2024, 1:58:32 AM

 数年ぶりに友人から連絡がありました。
「父親が首を吊ってしまった」ということでした。

 友人は、自ら命を断つ人の気持ちというのがまるでわからないそうで、家族の死をどう受け止めていいか悩んだ末、私に連絡をよこしたのでした。というのも、私には自殺未遂歴があるからです。「死にたいというのはどういう感覚なのか」、「父親は自分に対してどう思っていたのか」、「自分にできることは何だったのか」といったことを聞かれたと思います。
 私からすれば、何故死にたいと思わずに過ごせるのかがわかりません。自分のことを好きになれない私にとって、死はある種の救いなのです。今は周りの人の助けがあって、まだ奥の手を出さずに済んでいるだけで、最後の最後まで自分のことが嫌いになったら、命を断つほかにはないのです。

8/19/2024, 11:08:36 AM

 昨今の気候変動は目まぐるしい。温室効果ガスや森林の減少が原因だと言われているらしい。
 今年の夏は例年に比べ格段に暑く、日中に外を出歩くのは危険だし、室内であっても冷房がなかなか効かない。もはや小手先の対策では追いつかないほど、気候変動による悪影響はなかなかに重大である。持続可能な社会のために、我々人類は環境保全に取り組み、気候変動を止めなければならないらしい…

 さて、私は、人類はいつか滅びると思っている。

 現代社会には娯楽も保障も溢れており、家庭を持たずとも満足した人生を送れるし、面倒を見てくれる子供がいなくとも幸せな死を迎えられる。つまり人間にとって、繁殖するメリットはなくなりつつあるのだ。
 せっかく我々が持続可能な社会を目指して様々な努力をしても、それが実現する頃には人類は繁殖のモチベーションをなくして大幅に数を減らしており、もはや大自然に打ち勝つ術なく淘汰されるのではないだろうか…。

 そんなこんなの妄想により、世間が提示する「人類のために必要とされる努力」が私にはよくわからない。そもそも、私個人が人類のためにと何か努力をしなければならないことについても些か疑問がある。私個人の満足の中に、人類の繁栄は入っていない。自分と、知っている人の幸せが精々で、100年先の人類の幸せを真面目に願っているかと言われると全くそうではない。人類というコミュニティに対する帰属意識がない。

 どうまとめたものかと思うが、つまり私が言いたいのは、自分が満足した人生を送ることで精一杯なのに、顔も見たことのない沢山の誰かの幸せを願うことなど現実的でないということである。これを不道徳と言う人があるのならば、ぜひ教えて欲しい。純粋に興味がある。あなたはどんな動機で、どんな人生経験の中で、人類という途方もないコミュニティへの帰属意識を持ったのだろうか。

8/18/2024, 4:50:17 PM

 私は鏡を見るのが好きである。何故なら自分の顔が好きだから。
 素材がいいので化粧するのが楽しいし、逆に手抜きのノーメイクであっても「まあいいか、私もともと顔可愛いし」と思える。世の中には私より顔が可愛い人もたくさん存在するが、そういう人を見ても、素直に感動したり悔しい気持ちになったりした上で、しかしそんな憧れや嫉妬に捉われずにいられるくらいには私の顔は可愛いと思う。基本的に自己肯定感の低い私だが、顔だけは自信を持って可愛いと思えるので、精神衛生上非常にたすかっている。
 さて、ここで皆さんは私のことを「自分の内面に自信がないのを埋めるために外見で人を見下している心の貧しい人間」だと思ったのではないだろうか。しかし、私の「これ」はもはや内面的な長所に通じる部分でもあると私は考える。どういうことかというと、「この顔に生まれてよかった」というより、「自分の顔に満足する力が強くてよかった」ということなのだ。外見の美醜なんて好みが大きく関わるものであるし、人間の本質ではないとしてタブー視されている部分でもあるので、「私のいいところは人より顔が可愛いところ」などと言っては顰蹙を買うだろうが、より正しいニュアンスとしては、「私のいいところは自分のポテンシャルに対してポジティブなところです」なのだ。これは十分内面的美点と言っていいのではないだろうか。

 余談、こんな私だが、数年前心を病んでいた時分に、自分の存在を嫌うあまり鏡を割ったことがある。そこから順調に回復し、元来の鏡大好き人間に戻ることができてうれしく思う。

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