あなたは滅多に「さよなら」を言わない人だ。
だって、明日もまた会えることを知っているから。
会えることに確信があるから。
だから、あなたの「さよなら」は、
永遠に聞きたくないんだ。
私の隣の席に座っている西条さんは優等生。
校則通りのスカート丈に、第一ボタンまでとめているブラウス、学校指定のジャケット、耳より下でくくっている綺麗な黒髪。
無遅刻無欠席で、成績は学年一位。
生徒会副会長を務めており、噂では生徒会長と付き合っているそうだ。
まるで漫画から抜け出してきたような生徒だった。
ある日、塾で授業が長引いてしまい、帰るのが遅くなった。いつもは通らない秘密の近道、いわば路地裏を駆け抜けようとした、その時だった。
ふわり漂うタバコの煙。
つんと香る大人の匂い。
いつもは気にならないはずなのに、その晩は思わずその源を目で追った。
「「あ」」
声が重なる。
それは私の隣の席の優等生、西条さんだった。
周りには見知らぬ男たち。ピアスをあけていたり、髪を派手な色に染めていたりと様々だ。
西条さん自身は学校の格好のままなのに、悪そうな男とタバコと路地裏というシチュエーションが、西条さんを違う人に見せている。
西条さんは何も言わない私に向かって目を細めると、フッとタバコの煙を吐いた。
「ここでのことは、内緒にね」
そう口元に指を当てて言う声が、妙に色っぽくて。
私はたまらず逃げ出してしまった。
あれから西条さんを見るたびに、私はあの晩の彼女を思い出す。
光と闇の間で生きている彼女は、いつもと変わらぬ調子で、私の隣の席で教科書を広げている。
夜空で仲良さそうに並んでいる星を見て、
「あれ、私たちみたいだね」
そう言ってあなたは笑ったけれど、
実際の星はもっとずっと遠い距離にあるんだって、
教えてあげればよかったな。
それとも、あなたは知っててそう言ったのかな。
足を滑らせて、転落した。
私の死因はどうやらそのように説明されているらしい。
神様のいたずらか、屋上から落っこちて即死した後、私はあの世へ行かず、宙を浮かぶ幽霊となった。
自身の死体から離れられないため、私が棺桶に入れられるまでの工程を上から見守ってきたのだが、それがまぁ苦痛だった。
「なぜ死んだの」と泣く私の家族、親戚、友達。
馬鹿じゃないの、自分の胸に聞けよ。
もし声が届くならそう喚いてやりたかった。
お前らに追い詰められた。
お前らが私に“そう”させた。
お前らが!お前らのせいで!!
しかしされど幽霊。声は届かず浮かんでいるばかり。これを苦痛と言わずとしてなんと言う?
何やかんやあってようやくお葬式まで来たのだが、神様はいつまで私を現世に留まらせるつもりだろう?
もう自死した罰は充分与えたはずなのに。
ぼんやりとお経を聞いていると、突如場を裂くような悲鳴が上がった。
……あれ。
知った顔だった。幼少期の親友である沙智だ。確か外国へと引っ越したはずだが、まさか、わざわざ戻ってきたのだろうか。
目を真っ赤に腫らして、過呼吸に近い息をあげて、よたよたと私の棺桶に駆け寄る。立ち尽くしたかと思うと、そのまま棺桶に縋りついて大声で泣き出した。
「ごめんなさい…ごめんなさい…!」
謝っている。
何も悪くない、私の親友が泣いて謝っている。
誰一人言わなかった言葉を、涙声で繰り返している。
どうしてか私はむやみやたらに悲しくなって、沙智の側まで行って肩をさすろうとした。
しかしされど幽霊。手は沙智を貫通してしまう。
沙智は静寂の中、泣き続けている。
この瞬間、神様を呪った。
そうかそうか、お前はこれを見せたかったのか。
なんてタチの悪い。
せっかく未練を絶てたのに、
今更、死んだことを後悔しそうだ。
毒毒しいネオンの看板、人工灯、店から漏れる光。
夜の都会は昼間のように明るい。
喧騒にまみれて眩しい街をブラブラ歩いていると、
ふわり。
視界の端に翼が見えた。
真っ白な翼。排気ガスでネオンが歪むこの街にはあまりにも似つかないほどの純白。
思わず視線が追いかけるも、もうその姿は無かった。
どうやら昔、この近くで飛び降りがあったらしい。
飛び降りたのは女子高生で、白いワンピースを着て宙を舞ったと目撃証言が入っている。
あれは天使になりきれなかった女子高生だったのかもしれない、と今更ながら思う。
飛べない翼を生やして、自分が死んだ街から離れられずにいるのだ。