リソースが足りない。
メモリが不足している。自分の。
最近は色々あって書く余裕を作り出せなかった。
自分がマルチタスクをこなせない人間ということはとっくの昔に分かっていた。
低速で生きることでごまかしているが、たまに忙しくなると露呈する。
複数のタスクを抱えるとフリーズするか、動作が極端に悪くなる。
OSを再インストールすることもメモリを増設することも不可なので、シングルタスクで地道に片付けていくしかないようだ。
『ないものねだり』
椅子(しかも自宅の)から転げ落ちて、腰と肩を打ってめっぽう痛い。
言い訳をすると丸椅子で背もたれもなく座面も小さいことから、適当に腰を下ろしたらバランスを崩したと思われる。
最近、花粉症にコロナにと踏んだり蹴ったりの日が続くが、椅子から落ちるのは自業自得で同情も買えず(むしろ失笑を買って)本当にバカみたいである。
『バカみたい』
起こったことより、起こりそうなことが怖い。
ホラー映画やスリラー映画でも何かが始まりそうな、出てきそうな雰囲気のとき最も怖く感じる。
登場人物がそこ行っちゃダメ、そこ開けちゃダメということをわざわざして、ついに“それ”が現れると緊張感が解けて怖さ半減、場合によってはこんなもんかと拍子抜けする。
髪を洗っている最中に、ふと鏡に“何か”が映っていたら…と想像して目を開けるのが怖くなった経験がある人は少なからずいると思う。
一瞬の想像に過ぎないのに、“何か”が本当にそこにいるかのような恐怖感にとらわれてしまう。
見えているものより、見えていないもののほうが想像は膨らみやすい。“何か”が背後にいたり、頭上にいたり足下から出てきたり……。
自分は怖がりだという自覚がある。
心霊的なものよりは人間や失敗のほうが怖い。
起こってもいないことが怖くて、行動しなかったことで機会を逃したことも多くある。
反対に危機を回避できたこともあるので怖がりも悪いことばかりではないのだが、やらなかった後悔のほうが記憶に残りやすい。
『怖がり』
気になったことを調べるのは苦にならないほう、というより好きだ。
知ったことが砂のように頭からこぼれ落ちて、ほぼほぼ残らないのが悩み。
これ前にも読んだな、と思うと同じことを調べている。気になるポイントは変わらないらしい。
『もっと知りたい』
自分の過ぎ去った日々を大なり小なり彩ってくれた人々の訃報に接することが増えた。
昨夏、鳥山明原作のアニメーション映画『SAND LAND』を観る機会があった。
ストーリーは割愛するが、可愛くて強い魔物と渋いイケオジが出てくる。
戦車の描き込みっぷりにさすがの画力だなぁと感心しながら観た。どことなく手作り感があって懐かしい気持ちにさせられた。
派手な作品ではなく宣伝も控えめだったせいか客席は寂しい感じだったが、心は満たされて帰宅したのを覚えている。
享年を知り、思っていたより若かったのが意外だった。子どもの頃から彼原作のアニメに触れていたので勝手にもっと年上だと想像していたのだ。
そうか、亡くなってしまったのだな、と反芻する。
訃報を驚きだけではなく、ある種の感慨をもって受けとめる年代になってきた。
『過ぎ去った日々』