せっかくこのテーマが来たので、気になっていたことをまとめてみた。
ひとつ目は列車と電車の違い。
電車はそのまんま電気で動く鉄道車両。
列車は電車や汽車やディーゼル機関車も含め、動力を用いて線路上を走っている鉄道車両を指す。
この定義でいくと新幹線は列車だが、モノレールはどうなるのだろう。鉄道であることは間違いないが、列車のくくりには入っていないようだ。
ふたつ目は鉄道ファンについて。
鉄ちゃん、鉄男、鉄子などと呼ばれ、鉄オタとしてひとくくりにされがちだったが、タモリ倶楽部などを通して、好きなジャンルで細かく分類されることが知られるようになった。
・乗り鉄
王道?の電車に乗ることが好きな人たち。
・撮り鉄
電車の撮影が好きな人たち。
時々、踏み切りの傍らや陸橋の上でカメラを構えているのを見かける。
・音鉄
走行音や発車メロディ、駅内アナウンスなどが好きな人たち。
・時刻表鉄
時刻表を研究したり、乗り換えを想定して架空の鉄道旅行計画を立てることが好きな人たち。
などなど、他にも種類がある。
むろん一人一鉄ではなく、いくつか兼ねることもある。
実は自分の近くにもとある鉄がいて、たまに巻き込まれる。鉄道への興味は大してないこちらとの熱量の差がすごい。
そんな感じの私も、夜行列車には憧れる。いつか寝台特急列車「北斗星」や「カシオペア」に乗ってみたい、食堂車で食べてみたいという望みがあった。
時代の流れか、この2つはいつのまにか廃止になってしまい残念である(※)。
※いまも「カシオペア紀行」として豪華寝台列車が臨時運行しているが、とんでもなく高い。
『列車に乗って』
この時季は遠くの街どころか近くの街にも行きたくないが、北海道と沖縄には行きたい。
なぜなら北海道には道南の一部地域を除いて杉が生えていないから。沖縄にもほとんど植えられていないらしい。
薬のおかげで最初の頃よりはましだが、それでも時々ムスカになっている。
連続で花粉症の話になってしまった。
『遠くの街へ』
花粉症だと認めたら、花粉症になる。だから私は花粉症にはならない。
かつては認めたら負けくらいに思っていた。
たとえ水っぽい鼻水が出ても、花粉症?と訊かれると食い気味に「違います」と答えた。
このように謎の意地を張る人は自分だけでなく、意外と存在するらしい。
よくアレルギーはコップの水にたとえられる。
軽くだが鼻の症状が出ていたということは、既にコップはいっぱいに満たされ、滴は一筋、二筋と流れ落ちていたのだろう。
ある年の春先、水は突如としてどばどばと溢れだした。噴水のような勢いで。
最もきたのは目。かゆい。こする。悶絶する。真っ赤になる白目。とにかくかゆい。
耐えかねてクリニックへ行くと、医師は診察が始まるなり言った。「まだ検査はしていないけど、これは花粉症ですねぇ」
私は悄然として敗北を受け入れ、その日から花粉症になった。
『現実逃避』
一寸の虫にも五分の魂というが、家の中に出る虫だと、小さな羽虫や蚊は見つけ次第つぶせるが、なぜか蜘蛛はできない。あの造形と柔らかそうな体のせいだろうか。
Gは別格なので触れないでおく。
蜘蛛は家の中の害虫(益虫、害虫という区分も人間の都合だが)を食べてくれるらしい。それでも視界にいると気になってしまう。
たまに小さな蜘蛛が壁やカーテンに張り付いているが、直接触れないようティッシュをかぶせて捕まえる。意外とすばしっこい。捕まえられたらそっと外に逃がす。
家の外に巨大な蜘蛛の巣が張っていて、そこに鎮座する主を見たときはどうしようかと思った。
払っても払っても、いつのまにか巨大な巣ができている。
心の中で謝りつつスプレーを噴射した。
巣の主は一寸=3.03センチより大きかった。虫が大きいほど逡巡も大きくなる。大きさで魂に差があるとは思えないのだが人間は勝手である。
『小さな命』
0からの出発はよく聞くが、自ら0に戻して再出発を繰り返す人もいて、それがいわゆるリセット癖。リセット症候群ともいうらしい。
SNSのアカウントを突然消したり、いきなり人間関係をすべて切ったり、相談もなく仕事を辞めたり、誰にも告げず引っ越したり、Resetボタンを押すように環境をゼロに戻す。
原因を心理的に探ると、人目が気になる、面倒くさい、完全主義……色々あるらしい。
確かに、悩んだり対応するより全部断ち切ってしまったほうが早いし、すっきりする。
一方では、リセットを繰り返すことによる弊害もあるだろう。自分自身のリセットはできないので、だんだん消耗していく気はする。
私にもリセット願望は少なからずある。ただ小さなリセットはできても、人生に関わるような大きなものはなかなか難しい。実行に移せる人にはそれだけの理由があるのだと思う。
もし私が、といってもNoNameですが、ここから消えたときは小さなリセットが発動したと思ってください。
『0からの』